2008年8月31日日曜日
名古屋に行ってきました
目的は3つ。
○名古屋のNさんと遊ぶ!
○理研の名古屋支所の一般公開を見る!
○内田麻理香先生の特別授業に参加する!
です。今回も子連れ(3歳半、♂)です。
【天気!】
出発ぎりぎりまで、行こうかどうか迷っていました。
なぜなら、天気がひどかったのです。大雨洪水警報発令中。
日曜までダメそう、という話だったので、帰れなくなると困るなぁ、とも思いました。
その心配をメールに書くと、Nさんその返信に、
「晴れロー!!!!!」と書いてくれました。
朝の時点で新幹線のダイヤの乱れがなかったので、自宅を9時過ぎに出発。
【新幹線すごい】
豪雨の中、のぞみは何事もなかったかのようにダイヤ通りに名古屋へ到着。
日本の交通システムの堅牢さ、に感動。
【Nさんのベンツで名古屋サイエンスパークへ】
Nさんの自家用車、クラウンがベンツになってました。わー!
生まれて初めてベンツに乗せてもらいました。おおおー。
Nさんのお嬢さん、Sちゃんも一緒に、4人で名古屋サイエンスパークへGo!
【名古屋サイエンスパーク】
車で40分くらいだったでしょうか。私の事前調査が甘く(というか、事前調査した資料を家に忘れてきてしまった。orz)Nさん本当にありがとうございました。。。
到着してすぐ内田麻理香先生の夏休み特別授業に滑り込み参加。
【内田麻理香先生の特別授業】
理研の一般公開の情報をネットで調べていたら、どうやら、名古屋サイエンスパーク周辺で産総研の一般公開もしている模様、そしてその目玉イベントが内田麻理香先生の特別授業!
子連れだし、これは参加しなくちゃ。
ちびっこ実験参加型のイベントで、ホイップクリームに何を入れたら早く泡立てることができる?シャーベットを早く作るにはどうすれは良い?というテーマでした。ここに書くとネタばれになっちゃうかな、おもしろかったです!うちの子は、ブロック遊びに夢中。。。3才ちゃんにはまだ早かったか。NさんのSちゃん(まもなく5才)は、興味深げに実験に参加していました。
実は、3年以上前から存じ上げておりました。アメリカで出産を控え、日本の情報に飢えた私、ネットで「カソウケン」を見つけ、頻繁に読んでおりました。その後本を何冊も出されたり、最近では東大の特任教官になられ、テレビでもお見かけするようになり、その活躍ぶりを蔭ながら応援していたのですー!
【サイン本いただきました】
まりか先生のおいしい実験キッチン、のサイン本をいただきました!イエー!
Nさん、抽選で直接手渡ししてもらってました。Nさんの超自然的な引きの強さを今回も垣間見た気がしました。
【内田先生、実物にお会いしました】
イベント終了後、Nさん仕事の依頼で、内田先生と直接お話しできないでしょうか、とアプローチ。
すばらしい積極性。4人で控室へ!実物にお会いできて感激。とてもかわいらしい素敵なお方でした。
内田先生ありがとうございました!これからも応援しています!
【バルーンアートを作ってもらいました】
Sちゃんはネコ、うちの子は飛行機を作ってもらいました。
すごい名人芸です。20パターンくらいあり、それをあっと言う間に作り上げてくれます。
待っている間の会話。
私「こないだ、仙台に出張したときに、仙台支所の室長さんが、バルーンアート作ってくれたんだよ」
Nさん「へー、すごいねー」
【エコドライブ宣言】
http://www.city.nagoya.jp/kurashi/kankyohozen/ondanka/ecodrive/nagoya00036528.html
をして、抽選でプチタオルをもらいました。車の余計な荷物を降ろさなくちゃ。。。
【グラビティ、コウモリの眼で動くロボット】
理研棟へ移動。
入口で、あれ、この方、見たことあるかも。。。
!!!
さっき話にのぼっていた、バルーンアートを作ってくださった仙台支所室長Aさんでした!わー!
ああ驚いた。先方も驚かれていました。
理研棟では、ロボットの研究が紹介されていました。
周囲の環境を把握し学習しながら歩くロボット、グラビティの実演を見ました。
最近産総研でロボットを見たのと、ドラえもんにはまっているコドモは興味深げ。
最後に握手をしてもらいました。「アリガトウ」とロボットが言うと、コドモも「アリガトウ」
価格は一体高級車程度とのこと。
もうひとつの展示では、超音波で障害物を避けながら動くロボット、とおいかけっこをする、というイベントをやっていました。ロボットは障害物を避けるので、人間が寄ってくると逃げます。ロボットに旗を立てて、人が目隠しをして、その旗を取れるかな?というもの。おもしろい。良い企画ですね。
3才児には無理でした(目隠しずらして見てた)が、4才のSちゃんは見事成功。
超音波はロボットの正面の丸いところから出て、受信もそこからやるのだそうです。へー。
【アンケートに答えて】
全体のアンケートに答えて、記念品のマグネットシールをもらいました。
ふー、今日はこの辺で。明日以降に、Nさんと遊ぶ!の覚書を書きまーす。
Nさんのご家族には本当にお世話になりました!ありがとうございました!
2008年8月29日金曜日
シロイヌナズナの茎をタテに切る方法
転載しておきます.もう一工夫すると,3枚におろせます.
さらにいろいろとやると,薄切りする方法はいくらでもあるのですが,
時間と手間がかかります.
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> 学生実習なので、
とにかく,二枚におろせば,なんとか観察できます.
切断面側がカバーグラスにぴたっと来るようにすること,
【ビニールテープで枠作り】
→スライドガラスにビニールテープを貼ります.
→カッターで,一センチ角程度の窓を切り取ります.
(ビニールテープの枠が残るように)
→これで,簡単に適度なスぺーサーができるわけです.
【茎を保定】
→枠の中に,両面テープを貼り(
→1cm弱に切り取った茎を両面テープに貼ります
→これで茎は,まな板の上の鯉,状態になるわけです.
→両面テープで固定しているので,暴れません.
【カミソリの準備】
→両刃のかみそりをまず二つに折ります.
→さらに細かく折ります.
【切る!】
→そのかみそりのかけらをピンセットでつかみ
(ピンセットは小さめの操作性の良いものがオススメ)
→ヤー!と気合い一発で削ぎ切りにします.
→ためらいなくスパッと動かすのがコツです.
→このとき,
【カバーグラスをかけて完成】
→ビニールテープ枠の中に水をちょびっと入れ
→カバーグラス(ちょっと大きめがオススメ22x22とか)
→ビニールテープとカバーグラスを密着させ
(あまりぎゅっとおしつぶしてもいけない,
→観察~!
2008年8月28日木曜日
2008年8月27日水曜日
携帯が旅行に出ました
先生のラボの皆さんと一緒に,ホテルのバイキングに行って楽しい時間を過ごさせてもらいました。
昨日の午後になって。あれ。携帯がない。
帰宅して,色々探しまわりましたが,ないないない。
電話をかけてみても,「ただいま電波の届かない場所にあるか,電源が入っておりません」
docomoに電話をして,停止してもらおうとしたところ。
「お客様のお電話ただいま石川県にあるそうです」
えええっ!!!???
どうやら,
→ホテルのバイキング(あるいは子供とともにトイレへ行ったとき?)の間に落としてしまい,
→拾った方が,ホテルのフロントに届けるのを忘れ石川県に行き,
→石川県のdocomoショップに届けてくれた。
ということのようです。
あーびっくりしました。
早く戻って来てほしいものです。
2008年8月25日月曜日
就職までの道のり3
続きです。
【修士1年】
サンプルをアクリル樹脂に包埋して1um程度に薄切し,様々な蛍光試薬で染色して顕微鏡観察する,という基本的な技術を習得しました。タバコの花粉形成過程を,詳細に追いました。また,当時先輩が開発していた,樹脂切片上での蛍光 in situ hybridization の技術を引き継ぎました。感度が悪いためその技術は今は埋もれていますが,これが,ぞっとするほど美しかった。
どんな論文にまとめようかとかそういうビジョンがあまりないままに,その作業だけを淡々をこなしていました。
また,CCDカメラなんてものは当時顕微鏡に搭載されていませんでしたので
○白黒のフィルムに
○暗いサンプルは4分とか露光して
○自分で現像し
○自分で印画紙に焼き
○自分で写真を組んでいました
写真を組む,ってどういうことかというと,
○目的の写真をナイスな方向にカッターで切り取り
○ギャラリー状に並べ
○転写式のシートでレタリングを入れ
○写真と写真の間に1ミリのテープを貼り
○4辺をまっすぐに切りそろえて完成
こんな感じです。
今と比較すると,
○CCDカメラでポチッと画像撮り
○露光も長くて10秒
○フォトショップで切り抜いて並べ
○フォトショップでレタリングを入れる(エレ・タッチというのが便利)
はい,言いたいことは,昔の組み写真て,本当に手間がかかりました。
なので,学会前とか,セミナー前とかは,暗室に半日こもるとかいうこともざらでした。
(それが深夜だったりもして。今思うと怖い。)
こういう作業「やってられるか〜!!!」ってひっくり返したくなる方もいるようですが,
当時の私にとってこれらの行程はそんなに嫌じゃなかったようで。
最後に出来上がる「絵」のような組み写真。自分の「作品」だなぁ,って思えまして。
6月頃だったでしょうか,出来上がった組み写真を最初に教授に見せたとき,すごくほめてもらいました。
(この頃一番ほめられた。「あなたは形態のセンスがある」)
・・・で,気を良くした私。またいそいそと顕微鏡写真を撮り,
時間ばかりがビューーーン!と過ぎて行ってしまったのでした。
(濁流に飲まれてます)
そんなこんなしているうち,
【ふと気がつくと修士2年の夏】
になっちゃったりするわけです。
教授は,
「どんな小さなことでもいいから新しいなと思えることは論文にしておきなさい」
ということを本当に何度も何度も何度もおっしゃっておられました。
同じ研究室の同級生で,M2のこの頃に既に3報書いて投稿していた人もいました。
私は,自分が考えたテーマであるにも関わらず,
「何をどうすれば論文になるのかさっぱりわからない」
まま,ここまで時間を使ってしまったことに焦りながらも,論文については何も手をつけられないでいました。
(また,濁流に飲まれてます。一方3報書いた彼は,着実にロープを張るポイントを見つけている,と言ってもよい。)
【学会〜修論〜学振面接で落ちる】
はじめての学会で,ああもしかして漫画家の修羅場ってこんな感じなのかも,と思いました。
暗室が予約でいっぱいなので夜中やるしかなく,貫徹後一日なんとか過ごし10時間寝てしまう,
(今思うと本当に効率悪い。。。)
自分の口頭発表のスライドと,関連集会のポスターを作り,徹夜あけでそのまま金沢へ。
(今思うと当時は体力あったなぁ。。。)
学会が終わったあとはそのまま止まらない機関車のように修論の準備へ。
なぜか学術振興会のDC1に書類で通り,これまた徹夜でポスターを作り,発表に臨みました。
フワフワしていた私は,どういう手応えだったのかもよくわかりませんでした。
ただ,面接まで行って落ちた,というのをあまり聞いたことがなかったので,なめてかかっていたのでしょう。
所属していた研究室では修論は英語で書くきまりになっていました。
私の修論の面倒を見てくださった助手の方は,あまりのストレスに500円大のハゲが2個もできてしまいました(その後恐ろしくて1年くらいまともに口がきけず。。。)。
最後の土壇場での教授の指導,それにもとづき先輩たちがいろいろと手助けをして下さり,
助手の方は文章をみてくれて,
修論の提出の直前,
「学振不採用」
の連絡が来ました。これは,精神的にかなりキツかった。
教授に報告しに行ったとき,涙が出てしまいました。でも,教授は,
「泣いてもどうにもならないんだよ。
泣いても論文が出る訳ではない,
泣いても学振が通るわけじゃない,
これから先の就職もしかり。
論文を書くことだよ。
夏くらいからずっと論文を書いておきなさい,と言ったでしょう。」
夏の間に3報書いていた彼は,通過していました。
教授の言うことは,まったくもっておっしゃる通り,でした。
これは,今の私にとっても,肝に銘じなければならないことです。
(つづく)
PS この頃を思い出していたら,当時の研究室の夢を見ました。
私がなぜかRPDに応募していて,先生に呼び出されて怒られそう,という夢でした。(笑)
あ,そうそう,今日はその先生にコドモと夫と一緒に会いに行きます。
2008年8月23日土曜日
土曜日のNHK
その用事とは。乾燥機の修理です。
で、午前中からNHKを流しながら家事をしています。
思いがけず、ターシャ・テューダーの番組をやっていました。
嬉しくもあり、最近亡くなったということを聞いて寂しくもあり。
「新日本紀行ふたたび」では、31年前に取り上げられた高知のカツオ漁を営む山下さんという方が、今回再び取り上げられていました。おんとし92歳だそうです。今でも漁に出ているそうです。それを支え続けてきた奥さん。今年になって、一緒に船に乗られるようになったそうです。なんだかじんとしました。
さらに、「篤姫」再放送。
先週見逃したので、見ました。
和宮が許嫁の有栖川宮を窓ごしに見るシーン、フェルメールの絵を思わせました。物悲しく美しい。
去年も大河ドラマを見ていましたが、今年の「篤姫」はかなりおもしろいです。
脚本、演出、音楽、宮崎あおいさんの演技が回を追うごとに味わい深くなって行きます。
「日本一の男の嫁になるー!」(←ポニョ風)
と言っていたころと今とでは、演技が全然違います。宮崎さん、すごいです。
そして「土曜スタジオパーク」では和宮役の堀北真希さんが出演中。
―――――
ええと、洗濯機の件ですが。
乾燥機機能がほぼ機能しなくなって約3か月。
その前からF8エラーは出はじめていたので、もう半年くらいエラーを放置していたんですよね。
結局、
「ここでは修理できない(ほどひどい)ので、センターに持っていきます」
とのこと。 ガーン。
代替機は用意してくれるそうです。そのめどが立ったらまた連絡をくださるそうです。
修理は一週間くらい。費用は(羽もひびが入っているので交換、その分も含め)2万円ちょい。
コジマの10年保証に入っているので、お金は返ってくるのですが。
家電製品の不具合には早めに対処するのがいいようですね、という教訓。
就職までの道のり2
前のエントリの続きです。
【植物学教室に進学】
3年になり、植物学教室というところに進学しました。
2年までパーチクリンに過ごしていた私、
「あ、ここで油断したらちゃんと卒業できないかも」
と思いました。
なぜなら。みんな私よりまじめそう。優秀そう。
ちなみに、うちの学年は、8人定員のところ、16人進学しました。当時は、学生の数が多かったので、定員の倍近い人数を取るということが数年続いていました。で、うちの学年の最大の特徴は、
女子のほうが男子より多い!
大学全体でみても、女子は全体の2割くらい。
こんな状況は教室でも「空前絶後」なのではないか、と言われました。
たぶんその後今までおよそ15年くらい、再び起こることはなかったのでは。
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【3年の頃】
3年は、まだバスケサークルで現役だったので、講義と実験とバスケの両立で、なかなかハードな日々でした。
加えて、当時22歳だった私、大変母親のことを意識しました。
「母は私の年には既に仕事をはじめて7年、結婚したころなんだなぁ」
「来年には兄が産まれていたのか」
私にはそんなことはできないなぁと思いつつ、パーチクリンな生活を何とかしなくては、と日々過ごしていました。お弁当作ったりしてましたね。3年の後期は実験の忙しさと突然のまじめな生活とバスケで痩せました。今より何キロ痩せてたんだろう。ああ懐かしい。
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【3年春休み】
当時(今もかな)、「大学3年の春休みは、最後の長い休みだからみんな遊んでおけ~!」という雰囲気が理系文系問わずありました。
でも、
「このまま遊んでいたらまたパーチクリンになるかも。」
「大学院の入試には落ちたくないし、ただし自分でガシガシ勉強するとしてもどんな勉強していいかわからない。」
「研究室の雰囲気というものがどんなものなのか知りたい」
等々のことを思っていました。
たまたま何かの拍子に、ひとつ上の先輩が、3年の春休みに、ある研究室でシークエンスのバイトをした、という話を聞きました。おお、それはいい機会かもしれない。
○今年もそのバイトはないか?
○他の研究室でもそういうバイトがあったりしないか?
というわけで、当時学生係だった助教授の先生のところに相談に行きました。
結局、この年は同様のバイトはどこの研究室にもなく、お金はいらないので実験をさせてほしい、とお願いした研究室にも断られ、あれれどうしよう。。。と思っていたところ、
「うちで実験しますか?お金は払えないけども」
当初相談に乗ってもらうだけのつもりだった学生係の先生がおっしゃってくれました。
ただ最も厳しい研究室、という評判だったので、おそるおそる、というかんじでした。
これより前は、この研究室に進学するという選択肢は皆無、だったのですが、のちに大変悩むことになります。
この学生係の先生がなんと、今のボス!だったりします。
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【4年時代】
春休みは1ヶ月ちょい研究室に出入りさせてもらいました。
ある酵母の遺伝子のホモログをヒトかマウスから取ってこよう,という計画でしたが,
結局,シークエンスをしてみたらもともとの酵母の遺伝子ばかりでした。orz
コンタミの恐ろしさを痛感しましたよ。モレキュラーワークへの苦手意識のルーツかも。(笑)
がっくりしている間もなく,4年の実習がはじまりました。
A研で,実際に電子顕微鏡のサンプルを作るのを見学させてもらったり,蛍光顕微鏡を一回分解して組み立てたり,ということをしました。その顕微鏡の世界は,これまで私が知っていたものより数倍美しく魅力的でした。
「あっ,これだこれ,私がやりたいこと!」と思いました。前期の実習が終わる頃,大学院への進学先はどこにするか,ぼちぼち皆意思が固まって来ます。
そんな中私は慌ただしく郷里に戻り,母校で教育実習をしました。
私はもちろん前述の,顕微鏡の研究室,A研を希望していました。
一方このとき春休みに実験をさせてもらった大変厳しい研究室,B研の学生係の先生が,
「今度からいよいよ植物をテーマに仕事を始めようと思うので,来ないか」
という誘いを受けました。春休み実験のやる気を買ってくれたのだと思います。
これには大変迷いました。
そして,クラスメートの進学希望を聞いたところ,さらに混迷を深めました。
なぜなら,A研とB研に希望が集中していたから。
確か内部だけで,A研4人,B研6人。
ここで,「人数多すぎるから別のところにする」という判断をする学生がちらほら出る,あるいは受け入れ先の研究室から「人数が多すぎると面倒を見るのも大変になるから,もう少しばらけた方がいいんじゃないか」という上からの助言がある場合もあると思いますが。
誰もそういうことを言わない。
成績から言ってもあまり自信のない私は,A研の教授のところに相談に行きました。
教授は,
「人数が多いからってねー,関係ないよ,自分が好きなことをやるのが一番でしょ?」
「あと成績もね。研究者になるということと,学校時代の成績は違うからね」
というようなことをおっしゃいました。
おお。静かに感動しました。
ただ,B研からも声をかけてもらっている,というのは大変心にひっかかりました。
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夏になりました。屋久島の野外実習で,山道を息を切らしながら歩いているときも,
(締め切りが迫っていたので,この実習が終わって東京に帰ったら即,大学院入試の願書を出さなくてはならない)
最後の最後まで考えました。
都会の喧噪から離れ,屋久島の大自然の中で,直感で決断しました。
A研に行こう。
登山口のところの小さな川が,台風通過の影響で濁流になっていました。
石がごろごろ転がりながら流されている川を見て私が思ったこと。
「あ,今日中に東京帰れない。ってことは大学院の書類もダメかも。」
引率の助教授,助手の先生が,突然ものすごい頼もしさを発揮し,我々を向こう岸まで到達させてくれました。浅いポイントを棒でつつきながら探し,浅いポイントを結ぶルートを作って向こう岸までロープを張り,どうしても越えなくてはならない深いポイントは,自分がその近くに立って一人一人を支えてくれました。このとき何か事故でもあったら,私は大学院にも進学できなかったかもしれないのです。。。この二人の先生に感謝です。
この濁流は,大学院以降の生活を象徴しているように思えます。
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夏休み中は大学の4年の居室に通って勉強しました。クーラーなし,扇風機のみで真夏の都心で勉強,って,今想像するだけでくらくらしますが,その年は運良く冷夏ぎみで助かりました。講義のノート,「細胞の分子生物学」の3版と,「遺伝子の分子生物学」を主にやりました。
なんとか大学院試験には受かったようで,ほっとしました。
でも,自分ではあれだけガシガシやったつもりでも,たいした成績ではなかったようです。
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当時は4年の後期の半年だけが卒業研究,とされていました。
また当時は,卒業研究と大学院の進学先は別にするべし,というルールがありました。
というわけで私は,進学先として迷っていたB研で卒業研究をさせてもらうことにしました。
半年はあっと言う間に過ぎ,卒業しました。
厳しい研究室で朝から夜中までよくやりました。
でも,要領が良くないというか,言われたことをただこなしているだけで(しかも特段の工夫もなくただ時間だけを費やしていました,先輩や指導教官の言うことの方が絶対正しいに決まっている,その助言に従って淡々と作業をこなせればいのだ,とすら思っていたのかもしれません。),大きな発展につながるような成果は出ませんでした。私と一緒に卒研をやっていた同級生は,卒研当時に見つけたことがきっかけでその後first authorの論文を書いていました。
一方私は,確認作業のような実験で,少しアタリっぽいデータが出て,それから数年後「B研で植物をはじめる最初の学生」となった同級生(そう,私は断ってしまったのですが,男子の同級生がそこに行くことになりました)の論文に名前を入れてもらえた,という程度。
彼女と私の違いは何か。彼女は自分なりの工夫をし,指導教官や先輩の助言だけに頼らず頭をフル回転させ,次々に実験を計画し実行していました。それが私との大きな違い。
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B研での卒業研究はハードでしたが,多くのことを学びました。先輩たちの熱心な仕事ぶり,セミナーでの緊張感,白熱した議論。正直,この研究室を希望しなかったことを少し後悔しました。
ということもあり,念願だったA研への進学だったはずが,ちょっと出ばなをくじかれた格好になりました。B研への未練が出て来ました。ああ,今思うと,当時は私も乙女であったのですわ。うじうじ悩み未練たらたら。あきらめてしまったものがやたらと魅力的に見えてくると,今度はそちらがやたらと惜しくなる。
A研は,大変自由な研究室でした。信じられないくらい自由。
本人が,これをやりたい,と言えば,やらせてくれました。
扱う生物材料も,そのテーマに最も適したものを選ぶべき,というモットーのもと,それぞればらばらでした。ただし,アプローチは顕微鏡から入る,ということでした。まずは何か興味深い生物現象を見つける。それを研究するのに(最も)適した材料を選ぶ。その後は様々な顕微鏡の手法を用いて攻めて行く,という感じです。
先生がその頃本腰を入れ始めたシゾンの分子生物学,自分でやりたいことがなければそれでもいいよ,ということでした。私は当時被子植物の花粉に興味を持っており,なんとなくそれをやりたい,と言いましたら,「ああ,花粉ね,いいよいいよ」とあっさり教授はおっしゃられました。
研究における自由,というのは実に恵まれていて,なおかつ大変シビアです。
例えて言うなら,屋久島の濁流を,「道具はある,助言もするから,これを渡ってみよう,でも自己責任でね。Are you ready?」「Yeah!」みたいな感じです。
修士2年はまさに濁流に飲まれっぱなしでした。溺れてました。(笑)
(つづく)
2008年8月22日金曜日
2008年8月21日木曜日
就職までの道のり1補足
2は,大学卒業から修士にかけての予定。
【顕微鏡好き】
学研の科学の影響か,学校でプランクトンの顕微鏡観察をしたせいか。
小学校高学年の頃,顕微鏡が欲しくて欲しくてたまらなくなりました。
で,毎月のお小遣いのほとんどをお菓子の缶に入れて,1年近く貯めました。
そしたら,あと1ヶ月くらいで目標額になる,という頃に,母親が買ってくれました。当時は無意識でしたが,居間のテレビ台にその貯金箱を置いていました(今,親の気持ちになってみると,これ見よがしだなぁ。。。)。
母親は,大学の知り合いの先生から,ブドウ球菌とかのプレパラートをもらってきてくれました。
どうやら,母親は,「顕微鏡好き」→「医者になってくれたりしないかしら」
と思っていたのかもしれません。
【先生になろうと思ったきっかけもう一つ】
中学3年のときに,「魯迅のこころ」という本を読み,読書感想文を書きました。
「ちえこ,せんせいになるー」(←ポニョ風)という結論でした。
新聞社主催の読書感想コンクールで入賞してしまいました。というわけで,高校から大学時代はとりあえず先生になろう,と思っていました。(先日の仙台出張は,魯迅のゆかりの地,ということもあり,もう少しゆっくり見たかったなぁ,と今思い出しました)
指導してくれた先生は,「この子は地元で先生になってくれたりしないかしら」
と思っていたのかもしれません。
【そして】
母親と恩師,両方の思惑があったようですが,とりあえず違う道に進んでしまいました。。。
なんとなく,ごめんなさい,と書いておいた方がいいかも。
(ええと,先生になる,という可能性は,まだゼロではないと思いますが。。。)
でも,周囲の思惑に左右されることなく,自分の人生は自分で決めたい,ですよね。
たとえその途中で軌道修正があったとしても,後悔しないのであればそれで良いのだと思います。
2008年8月20日水曜日
就職までの道のり1
私も書こうかな,ということで.
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【大学入学の時点〜教養課程まで】
そもそも,大学に入った時点では,ぼんやりと,「研究者」か「高校の先生」という希望を持っていました.
私が高校を卒業して浪人が決定した頃,兄が博士課程を修了し,企業に就職した直後でした.研究者は博士の学位を取得してなるものなのかなぁ,ということを私は兄から教えられました.でも,そもそも研究者になれるんだろうか?ということについてはあまり自信がなく,まぐれで入っちゃったような大学で,果たして自分が留年せずに卒業できるのだろうか,という不安の方が大きかったように思います.
後者については,父は地方の私立高校の教諭,母は中学校の養護教諭,姉と兄が小学校教諭,という教職ファミリーであったため,自然にそう思ったようです.高校では女性の先生が何人もいたので,自分もなれるかも,と思ったのでしょう.
ちょうど入学した頃はバブルがはじけた直後.
でもまだ世間は浮かれ気味でした.
先輩の就職活動の話なんかを聞くと,まだまだとんでもない売り手市場で何か違う世界のことのよう.
そういう世界に身を置くことはまずないだろうなぁ,と漠然と思いました.
とりあえず, 教職の免許は取ろう,と思って,必要な単位を取得することにしました.
私が大学に入った頃に,「専修」というカテゴリができて,修士卒だとほぼ自動的にこの免許になる,ということだったので,
「修士までは行かせてもらおう,その頃には自分が研究者としてやっていけるかどうか判断できるだろう」
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【教養課程で思ったこと】
大学の教養課程の生物実験は,顕微鏡観察をしてスケッチをする,ということに多くの時間が割かれていました.小さい頃,顕微鏡が欲しくて欲しくてたまらなかった私は,夜遅くまで実験室に残ってスケッチを続けるという作業があまり苦になりませんでした.(それでも生物学実験の成績はBでしたが(笑) )
別の科目(ドイツ語,有機化学,物理)では随分苦労したけれど(しかも周りがほんとに勉強できる宇宙人のような人がごろごろいて...), 生物はもしかしたら好きかも,特に顕微鏡!と思っていました.
ただ,動物をいじるのはやはり抵抗があるなぁ..., そういうやや後ろ向きな理由と(これも上記の生物学実験で知った),幼少期りんご畑で過ごしたという野生児体験,きっと周囲のクラスメートの誰よりも豊富なんじゃないか,それが私の強みになのでは?という理由で,「理学部生物学科植物学教室」を希望することにしました.
当時の植物学教室は,進学振り分けの点数が今よりも高くて,私の成績ではギリギリ...
第2希望,第3希望は農学部に出した気がします. バクチのようなものでしたが,何とか通ってとてもほっとしたのを憶えています...
あ,あと,教養時代,特に2年生のときはよく遊びました... パーチクリンでした.よくあれで留年しなかったなぁ,と思います.友人に感謝です.
(つづく, 何となく長期化の予感...)
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夏休みあけ
休み明けで体力は十分!
ただ,ちょっとボケ気味なのが気にかかります.
to doを忘れないために.
☆マインドマップの週間予定を書こう!
☆Googleカレンダーにもどんどん予定を書き込もう!
体力維持,研鑽のために
☆ちょっと滞っていたblogを,マメに更新しよう!
☆もうちょっと早起きしよう!
☆読書を継続的に
夏休みの最後の最後で,レバレッジシリーズを2冊読みました.
reading, と, thinking です.
ボケボケしていないで,もっと生活に活かしたいものです.
2008年8月15日金曜日
2008年8月14日木曜日
夏休み中に読んだ本
2008年8月12日火曜日
コーヒーを断ってみた ースキニービッチを読んで○○をやめる
2008年8月11日月曜日
実家のMacBookをネットに繋げた
2008年8月10日日曜日
ミッションステートメント追加
夏休みです
2008年8月5日火曜日
スキニービッチを読んで○○をやめる
読了.
考えさせられることが満載.
私のツボにきたところ,私なりに解釈して列挙しました.
↓
「成分表を読め」
「ヤバイものは体に入れるな」
「良いものだけ体に入れろ」
「コーヒーはやめろ」
「肉やめろ」
「卵やめろ」
「乳製品やめろ」
「果物OK」
「野菜OK」
「大豆製品OK」
うへー...
こういう食生活してたら,そら痩せるわ.
かなりstrictなベジタリアン生活.
ええと,小さなことからこつこつと,週に一つずつやめていくのでもいいらしい.
さて.何からやめるか?
「コーヒー」
にすることにしました♪ははは.
...で,実は土曜から断ってます.
土曜は,すんごい頭痛でした(コーヒー以外の原因もあるけど).
日中眠いし.
もしかしたら,動物性タンパク質抜き,よりもツライかも.
あっ,しまった.逆の書き方をしてみよう.
「それってコーヒー断ちが達成できたら,他のものをやめるのはもっと楽,ってことかしら?」
ただし,コーヒーの離脱症状とたたかうのと,動物性タンパク質を欲する欲望を律するのとでは,ちょっと性質が違いそうですが.
妊娠中は,アルコールもカフェイン(→コーヒーだけでなく,紅茶,緑茶も!)も断っていました.そう思うと,今できないはずがない.
動物性タンパク質も,まずはお肉を避ける生活からはじめます.
---------------
PS
この本を勧めて下さった勝間さんに感謝,です.
読書メモ,これまでは,感想のみ,のことが多かったですが,読書と行動を結びつけてみようかな,というキャンペーンを実施中,です.「活かす読書」さんにinspireされました.ikadokuさんにも感謝.
2008年8月2日土曜日
前のエントリが100個目!7月31日の奇跡
おおお。うれしい偶然。
記事の投稿は8月1日でしたが、セミナーは7月31日でした。
もうひとつ、7月31日には驚いたことがありました。
勝間さんのセミナーから戻ると、「奇跡のリンゴ」が届いていました。
「プロフェッショナル」で放映を見て、茂木健一郎氏のブログで目にしたので早速購入したのでした。
完全無農薬でりんご作りに取り組んだ、木村さん。
どんどんひどくなる畑。まったく収穫のない数年間。
持ち物をどんどん売り払い、それでも自分の信念を貫こうとしていた。
でもあまりに追い詰められて、一度は死を考えたのだそうです。
ロープを持って自分の死に場所を探して岩木山麓を彷徨した、その夜が7月31日だったのだそうです。
読みながら、えっ!今日と同じ日付!
そういういきさつもあり、「奇跡のリンゴ」、特別な思いで一気に読みました。
7月31日、その山中で、木村さんは決定的なヒントとなることを見つけ、死ぬのをやめて下山します。
現在の私の悩みは、出産以来論文が出ていないこと。
しかし、木村さんの壮絶な8年を思えば、たいしたことない。
この本の表紙は木村さんの笑顔。
リンゴ農家だった私の祖父にびっくりするくらい似ています。
7月31日、ねぷた開幕の前日。
思い出深い日になるといいな。
2008年8月1日金曜日
人生戦略策定セミナー
「人生戦略策定セミナー」
に行ってきました!
感想と覚書とアファメーションです.●が反省点,☆が良かった点です.
【会場へ】
九段下で降りて会場,ベルサール九段へ.
●職場を出るのが少し予定より遅くなり時間がギリギリだったのでやや焦った.
☆飯田橋から歩くつもりだったが,より会場に近い九段下まで電車で行ったのが私にとっては正解だったよう.
●久しぶりに1人で電車に乗った.そんな時こそ本を持ってくるんだった...!
○地下鉄の改札,出口を出たところで地図を確認して,会場を見つける.
○改札のところの案内図で,「あ,この人も勝間さんのセミナーに行くんだな」というビジネスマン風の男性を目にしてほほ笑ましく思う(メールを打ち出したものを持って地図を見ている).
○会場に集まるひとびと,エレベーターの中でも手帳をチェックしている方あり,カツマニアっぽい
【セミナー開始!】
○会場入り口で,スタッフの方の元気なご挨拶とともに,資料を渡される.
○PowerPointをプリントアウトして簡易製本したもの.
○表紙に注意書きが.テキストは,勝間さんの指示により開くこと,先のページを見てしまわないように.
○監査と分析のじょうねんさんから勝間さんの紹介.
○拍手でお迎え〜!
【セミナーの内容】
ええと,内容はそのものずばりを書いてしまうと問題なので,キーワードと感想中心に.
☆90分がこれだけ短いのー!?というくらい,あっという間に楽しく時間が過ぎました.
○時間が超過してしまいましたが,いやもっと話聞きたいなぁと私は思いましたね.
○テキストが40ページ強なので,一枚あたり2分ちょいかけて説明しているのですね.ふーむ.
☆目を見張る構成の堅牢さ.セミナーや講義や学会発表の際に参考にしたいです.
【演習:私の場合】
[ミッションステートメント]書いちゃいますよー.わー!!!(あとで変更もありかも...)
・他の先進国に比べて極めて低い大学や研究機関における女性の比率を上げたい.
・(子供がいてもいなくても,PIや管理職を目指す場合でもそうでなくても)研究や仕事を充実した気持ちで続けて行けるような環境を,世の女性研究者・ポスドク・技術者の方々,これから育っていく若い大学院生の方々,またそれを支えてくださっている事務系の方々とも,あたため,つくり,共有したい.
・これから子供を持つ若い男性が,子育てに自然にコミットできるような文化や仕組みを醸成したい.
[予定]実際,演習中にテキストに書いちゃったことをここに書いてしまいます.わー!!!
〈3年後の大目標〉
・現在勤務している研究所以外からオファーが来るような業績を出す
※補記:3年後はちょうど夫の任期が切れたあとで,彼はどこか別の研究所に移っている予定,彼の異動先に私向きのポストがあるかどうかはかなーり難しい.でも,「おくさん連れてこられたら困るよー」というのではなくて,「おくさん来てくれてもいいよー」の方がいい.
・自著と共著と併せて10報(自著3,共著7).
※補記:大きく出たなー!
・一冊本を書きたい.
・子供をもう1人.
〈1年後の目標〉
・原著論文を書く.
・学会に積極的に参加する,国内3,海外1.
[予定を月ごとに分割して,中間目標を作る]
これは,一部だけ公開しまーす.うふふ.
あ,体重については今書き足しました.おほほ.
1ヶ月目(8月)
2ヶ月目(9月)国内学会(2つ)
3ヶ月目(10月)科研費
4ヶ月目(11月)
5ヶ月目(12月)昇進アプライ
6ヶ月目(1月)ここまでで3キロ減
7ヶ月目(2月)
8ヶ月目(3月) 国内学会
9ヶ月目(4月)
10ヶ月目(5月) 原著論文受理
11ヶ月目(6月) 国際学会 ハワイ!
12ヶ月目(7月)ここまでで6キロ減
これが結構難しかったんだな...第3四半期やや強め,というのが特に.
自分が今抱えていることを消化するのにいっぱいいっぱいなんだな.反省.
[KPIに分割]
○かける時間(顕微鏡関連の仕事に何時間あてたか.水銀ランプや電顕のビームタイムのカウントでもいいんじゃないか?ログブックに書いてあるはず)
○データ(使えるFigをいくつ作ったか)
に落とすのがいいかなぁ.
○論文のテキストを書くという行動を,KPI化できないかしら.文字数!?単語数!?推敲すると増減しちゃう.考え中.
[MECE に分割]
これが難しかった.
今思うと,中長期の目標を達成するために,MECE的に行動を分解するってことかしら.
[良い習慣と悪い習慣を決める]
良い○悪い●
○早起き
○ジョギング
○昼バドミントン
○ブログ
○読書
○実験をとにかくこなす
○良いものを食べる(野菜,全粒粉,玄米)
○なにごとも細かく記録
○Giveの5乗(演習に沿って)
●メールチェックとレスポンスに長い時間をかけ過ぎる
※ただし,Giveの5乗を実践するためには,ある程度の時間が必要...ジレンマ.
●コーーーヒーーー
●過剰な間食
●三毒(演習に沿って)
●デスクに座りっぱなしの仕事を続けてしまう
[良い習慣を続ける仕組み]
○ブログかなぁ.
○万歩計
[悪い習慣を遠ざける仕組み]
○勝間さんの教え通り,愚痴を言いたくなったら,「好きな歌を歌い踊る」,を実践します.
○もう一つ,愚痴や不平不満を言いたくなったら,私がよくやっている方法.
一度,愚痴や不平不満たらたらの返信メールを書いて,あるところで捨てます.誤送信に要注意!!!ですが.
○ダイエット向きでない食べ物を見かけたら目をそらしすかさず,心の中で「キケンキケンキケンキケンキケン...」と10回唱えることにします.
○良い食べ物の場合,「ヨイヨイヨイヨイヨイ...」と10回唱えることにします.
【セミナーを終えて帰路につく】
○帰りの電車の中で,一気に「インディ」を読んでしまった.ああ,本を読むのが速くなったなぁ,という気持ちとともに,勝間さんとの出会いはこの本だったなぁ,と2年前を思い出す.suikyoさんに感謝.
○このインディは,裁断される寸前だったのを,勝間さんがしのびないと思い,セミナー参加者に配ることにしたのだそう.表紙を開くと,"Katsuma Serendipity" とスタンプが捺してありました!おおお.これも何かの実験でしょうか.
○その足で,ヨーカドーに万歩計を買いに行こうとしたところ,Kさんに偶然会った!
○Kさん,今も十分インディなんだけど(ちなみにこの週末結婚されます!),スタンプ「インディ」をお貸しすることに.
○家に帰ったら,コドモが満面の笑顔で迎えてくれました.夫,オフロにいれてくれてました.夫に感謝.
「ママドコイッテタノー」
「おべんきょうしてきたんだよー♪たのしかったよー♪」
○セミナー,本当に楽しませていただきました!勝間さん有り難うございました!