2011年11月28日月曜日

体重増

ええと,毎年毎年,1年で何キロ減らすとか言っているのですが,
今年はすごくピンチな模様.

6月くらいまでは,上の子が小学校に上がったり,いろいろ忙しく,
体重は減少傾向にあったのですが.

夏に油断して以降,そこから3キロ増えてしまいましたよ.
ガーン.

上の子が生まれたあとも,しばらくは体重減少傾向にあったのですが,
2歳をこした頃くらいから太り始めました.
子育てが一山越えたというしるしでもあるのだとは思いますが,
ここで油断していると本当に元の木阿弥...

食事に気を使って,ストレスを貯めないように,なおかつなるべく体を動かす機会を増やしたいと思います.

2011年11月17日木曜日

日本植物学会ロゴマークデザイン募集

今年から,日本植物学会の広報委員をやらせていただいております.
その関連で宣伝させていただきます.

日本植物学会では来年の創立130年を記念してロゴマークデザインを募集しています.
http://bsj.or.jp/osirase/osirase_open.php?shu=1#430
------------上記のページより引用------------
来年の創立130年を記念してこのたびロゴマークデザインを作製することとなりました。ロゴマークは、学会ホームページ、会報及び学会からの配布物に掲載 するほか、年会・シンポジウムなどの学会主催行事での掲示物等に使用いたします。また、学会誌、Journal of Plant Researchにも使用することを予定しています。

下記の募集要項で募集いたしますので、皆様の積極的なご応募をお待ちしております。
------------------------------------------------

2011年11月11日金曜日

幹軸椎回旋位固定顛末

この1週間ばかり重くのしかかっていた悩みとそれが解決した顛末についてメモをしておきます.

先週の水曜11月2日,学童保育に迎えに行ったら,
「○○君(息子の名前),首が痛くて大変らしいんですよ」
とのこと.
「首が傾いたままほとんど固まってて,痛くて走ることもできないみたいで」
「ちょっと大変そうなので電話したんですけど」
しまった,今日は研究室の最終レビューを聞きに行っていたので,その時に電源を落としたままにしてあったんだ.しかも研究室もからっぽだったので,連絡がつかなかった模様.
事情を話して謝った.

出て来た息子,確かに首が曲がっている.右に傾いたまま,右肩もやや上がっている状態.
最終レビューのお疲れさま会があり,とりあえず会場に向かった.

最初のうちは,iPhoneで遊んでいた息子だったが,そのうち
「首痛い〜!もう帰る」
と言い出した.
こういう場が好きな息子がこんなこと言いだすのにびっくりした.
人生最初の寝違えじゃないの,とたかをくくっていた私だったが,これはただごとではないとやっと察知した.
お酒が入っていたが,夜中になって子供2人を連れて病院に行くより今行ってしまった方がいいかも,と,タクシーで病院に向かった.
息子は病院の夜間救急の待ち合いのソファーに丸くなっていた.
首が痛いので,うつぶせのまま頭をかかえ,膝をまげて.

診察をしてもらい,首が15°ほど傾いているとのこと.直前に風邪とかひきませんでしたか,と聞かれたが,そういうこともなく.

X線撮影をして,再び診察室へ.
病名を電子カルテに書き込む先生,「幹軸椎」まで入力したところで「亜脱臼」という選択肢が.えええっ!亜脱臼?と思わず声に出た.
が,別の選択肢だったようで,「幹軸椎回旋位固定」だった.

首の骨,一番上のものと二番目のものが回転して,私たちは首を横に動かせるらしい.
その二つの骨の間で,回転したまま戻らない状態になっているとのこと.

ソフトカラーをして,運動などは控えて安静に,とのこと.
学校は,どちらでも,痛くて我慢できないようならお安みさせても,また,痛みが我慢できるようだったら行ってもよいとのこと,判断は任せますと言われた.
飲み薬,カロナールと湿布を処方してもらった.
薬剤科にも,息子はついてこられなかった.ずっとソファーでまるむし状態.

娘がかわりについてきて,夜中の病院,止まっていたエスカレーターに近づいたら,急に動き出したので,驚いて泣き出した.

翌3日は休日.一日安静にさせようとしたが,本人退屈で,いろいろ遊んでしまう.
首が痛いのか,活動度は低いものの.
お友達の家に遊びに行く予定にしていたが,キャンセルさせてもらった.
そのお友達がお見舞いに来てくれた.餃子をごちそうになって,私が少し元気になった.
ネットでいろいろ調べたところ,慢性化して長引くこともあるのだそう...

翌4日,活動度は低いけれど,遊ぶ意欲などはありそうなので学校に行かせることにした.
ランドセルを背負わせたら急にかわいそうになって,徒歩10分の学校だが車で送った.

翌5日,授業参観の日だった.いつも一緒に朝登校しているお友達Kちゃんのお母さん(餃子も彼女が差し入れしてくれた)が車で送ってくれた.有り難かった...
学校では家にいるよりも随分元気そうに振る舞っていた.
ソフトカラーを巻いているので注目を集めてしまっていたが,本人はあまり気にならないようだ.
(小さい頃から眼鏡をかけていたので,そういう状況には慣れているのかもしれない)
算数の授業で真っ先にあててもらっていた.
たしざんが書いてあるカードが裏返しにして黒板にはってあり,2人ずつ前に出てカードを選び,その答え,どちらが大きいかで勝ち負けを決める,ような形式だった.
答えも合っていてなおかつ数字が一番大きかったので,たいそう嬉しそうにしていた.良かった.

翌6日日曜,珍しく,「今日は教会に行こう」と息子から言い出した.
久しぶりに子供2人を連れて教会に行った.
会う方会う方に「どうしたの?」と訊かれた.
息子はそうやって自分に注目が集まっているのを少し楽しんでいる様子だった.

この時点では症状にあまり変化はみられず.

8日.週末に予定していた帰省をどうするか,真剣に考えることにした.
9日に再受診して,MRIを撮るそうだ.その結果次第.

「おじいちゃんとおばあちゃんのところに行けるかどうかは,水曜の検査と診察で決まるよ」

息子,首は痛くても当然実家への帰省は当然敢行されると思っていたらしく,上の私の一言で急に治る努力を熱心にするようになった.
本当にこの1,2日で急によくなった.そんなに帰省したいのかー.

9日水曜,どきどきしながら,MRIとX線撮影をして,診察.
軽快してきたということで,あと3日カラーを装着して,その後は通常の生活に戻って良いとのこと.入院とかにならなくて,本当に安堵した...

2011年10月13日木曜日

運動会と学会が一緒の日でした

もう1月くらい前になりますが.これは書き残しておかなくてはなりません.

運動会と学会が一緒の日でした.

3日ある学会期間のうちの初日が,小学校1年生の息子の運動会と一緒の日.
そしてその初日に私の発表が.
そして同日に夫の発表も.
なおかつ同日に夫に座長の依頼が.
結局その座長は私が引き受けることとなりまして.

不幸中の幸いと言えば,今年は通いで行ける場所(東大駒場キャンパス)だったこと.

さてどうしたかというと.
両親と叔母に応援に来てもらいました.

私の発表は午後3つめの演題だったので,午前中の種目を見て,
いったん家に戻って着替えてパソコンバッグを持って,
あまりの暑さに参っている様子の両親に,スーパーで冷たい飲み物と氷を買い,
小学校に到着すると同時にタクシーに電話して,
両親に飲み物と氷を手渡して,
タクシーに乗って和光市駅に向かい,
副都心線で渋谷へ,井の頭線で駒場東大前へ.

自分の発表を終え,同じセッション会場で座長をやり,
(「ではここで座長を交代します」と言うべきところを,
「ではここで演者を交代します」と言ってしまうという失態)
そのまま同じ会場で夫の演題を聞きました.

夜は同門会でした.

終わると同時に電車に飛び乗り家に戻ったのですが,
母親が,ものすごい日焼けをしていて,
「すっっっっごい大変だった...,○○さん(叔母)が来てくれて,
すっっっっっごい助かった...」
と言っていました.
あああああ,本当に有り難うございました,お父さん,お母さん,おばさま.

来年は,年間の行事予定を4月にもらったら,すぐさまGoogleカレンダーに入力しようと思います...

2011年9月15日木曜日

論文アクセプトされました

先日投稿した論文,はやばやとアクセプトになりました.
有り難いことです.
粛々と,淡々と,次の論文へ向けて動き始めます.
そしてそれを書きつつ次のネタを掘り下げて行きますよ.

明日は合同アクセプト&投稿祝いです.

2011年9月10日土曜日

子連れ出張 夏の奈良,女同士の旅の巻

ちょっと前に子連れ出張しました.忘れないうちにメモメモ.

子連れ出張シリーズ,これでかれこれ何回目でしょうか.
今回は,娘と私で4泊.
私と娘,という組み合わせは初.
息子は,単身赴任中の夫のところに行っています.
小学生の夏休みならでは,といったところです.
行き先は,奈良先端大.

子供が小学生になってしまうと,保育園と違って簡単に休ませられないので,
なかなか出張に行きにくくなってしまう,という事情があります.
(特にうちは夫が単身赴任になってしまったので)
お泊まりありの緊急サポート事業が和光市でもはじまったようなので,
そういった方向も考えてみるべきなのかもしれません.

逆に,夏休みの間を有効に使おう,という考え方もあります.
国内学会はあまり夏休みに重なるものはないのですが.
国際学会は結構夏に開催されています.
来年以降は積極的に.

さて今回は,
○Door to door で片道4時間半くらい,
○三泊四日,
○ゲストハウスにランドリーあり,
○レンタカーを借りるもののとにかく交通の便が悪い,
○よってなるべく持って行けるものは持って行く,

ということで,荷物は子供1人にしては多めです.
スーツケースに衣類と子供用品,おもちゃ類を入れ,昨日の夕方にクロネコヤマトの営業所に出しに行きました.

【スーツケース】

□オムツ 1パック (44枚)
□おしりふき 2パック

□哺乳瓶 1本
□おやつ アンパンマンのソフトせんべい 

□着替え(私,娘)私は3組.娘は上6下4.(本当はもっと持って来たかったが,保育園から回収するのを忘れて少なめ)
□赤子用のパジャマ 2
□私の部屋着
□子供のパジャマ 1

□ビニール袋
□ペン
□ドコモ携帯バッテリー
□娘のオモチャ
□娘お気に入りのぬいぐるみ

【デイパックに】

□旅行用雑貨と常備薬が入ったポーチ
□ドコモ携帯,ドコモ充電器
□iPhone,iPhone充電器
□財布
(いらないカード類は置いて行く)
(が,クレジットカードと免許とsuicaなどは入れておく!)
□パソコン,電源ケーブル
□母子手帳1冊
□健康保険証入れ
□歯みがきセット
□コンタクトセット
□眼鏡!
□鍵
□ビニール袋
□哺乳瓶1本
□オムツ 6枚
□おしりふき 1パック
□娘の着替え2組
□おやつ
□ティッシュ,ハンドタオル数枚
□コドモの着替え一組

--------------------
日曜の11時頃家を出ました.ベビーカーを持って行きました.
和光から東京駅まで,東上線と丸の内線で.
チケットはあらかじめ購入していませんでした.
(遅れそう!ってドキドキするのが嫌だった,前日入りなので余裕あり.)
一番早く乗れるのぞみのチケットを購入し,グランスタで駅弁を2個買い, いざ京都へ.

意外と娘はおとなしくしてくれて,しかも隣の席がずっとあいていたため,楽でした.
京都からは近鉄,特急がちょうどあったのでそれに乗って大和西大寺へ.
大和西大寺で,予約していたレンタカーに乗り(チャイルドシートもネット予約できます),まずはクロネコヤマトの営業所へ.
営業所留めにしておいたスーツケースを受け取り,
次は奈良先端大のゲストハウスへ.
必要な品物を買い出しに高の原のイオンへ出かけ,
その大きさに圧倒されるうちに時間ばかりが過ぎ,
大河ドラマを見たいばかりに夕食に冷やし中華を購入,
ゲストハウスに着いたら娘は疲れたのか爆睡.
大河ドラマを見ながら冷やし中華を食べようと思ったら,箸がないことに気づきました...

とりとめのない内容ですが,今回のポイントは,
○レンタカーで動く
○荷物は多め
○ただし日曜着なので宅急便をゲストハウスで受け取ることはできず
○クロネコヤマトの営業所留めにしておくことで解決
でした.




もう1報

自著論文を投稿しました. 前報が出てすぐ,Addendumとしてうちのジャーナルに投稿しないかとinvitationをもらったので, そうさせてもらうことにしました. 結果はもう少し先だと思いますが,これで学会準備と次の論文にとりかかれます. 今年中にもう1つ投稿まで持って行きたいものです.

2011年9月2日金曜日

ところで今年の目標はどうなってる?

マメに見直さないとダメだってば,という心の声に従って,見直してみます.
○→スミ,△→延期したもののスミ,▲→着手したものの未完,×→未着手

1月  ○研究グループ内ミーティング
2月  △自著論文再投稿,○研究室セミナー,○スクリーニング
3月  ○スクリーニング,国内学会(→震災のため中止)
4月  △次の自著論文のFigを完成させる
5月  ×JSTのグラントに出してみる?
6月  △次の自著論文のテキスト完成させる
7月  ▲変異体の遺伝子マッピング進める
8月  ▲次の自著論文投稿,▲変異体の遺伝子マッピング進める
9月  国内学会
10月 科研費申請
11月 電子顕微鏡ワークショップ
12月 次の次の自著論文Figを完成させる

あ,体重は,7月までに2kgくらい減っていたのですが,夏の間油断して戻ってしまいました.あうあう.(だから見直さないとダメだってば)

この3年を振り返って

唐突ですが,この3年を振り返ってみたいと思います.

というのは2008年の7月31日に,勝間さんの人生戦略策定セミナーに参加して,
3年の目標を設定していたからです.
http://pawawappu.blogspot.com/2008/08/blog-post.html
なので本来であれば8月の初旬にでもアップしておくべきだったのですが,遅くなりました.

3年後の大目標として,以下のようなことを掲げておりました.

A 現在勤務している研究所以外からオファーが来るような業績を出す
※補記:3年後はちょうど夫の任期が切れたあとで,彼はどこか別の研究所に移っている予定,彼の異動先に私向きのポストがあるかどうかはかなーり難しい.でも,「おくさん連れてこられたら困るよー」というのではなくて,「おくさん来てくれてもいいよー」の方がいい.
B 自著と共著と併せて10報(自著3,共著7)
※補記:大きく出たなー!
C 一冊本を書きたい.
D 子供をもう1人.

で,結果ですが!

A ポストについて.
当時の予想通り,夫は別の研究所に今年の2月に着任しました.こちらの残務もあったので,本格的に単身赴任の状態になったのは3月から.

まだ,噂の段階でしかないのですが,そちらの研究所,

「夫婦はダメらしい」とのこと.
(アウトー!って声が聞こえてきそうです.)

また,私が夫が現在勤務している研究所に移ることを,夫はあまり積極的には
考えていない様子.
業績的にはなから無理と思っているようなふしもあります.癪ですが.
でも,彼が去年の就職活動中に骨身にしみて感じた昨今の若手独立ポスト争奪戦の厳しさを思うと,
そういう反応になるのも無理はないのかもしれません.
達成度としては...,難しいですね,30点くらいかな.いや,オファーが来てないんだから,0点か?

B 論文について
自著は,1報に留まりました.この記事を書くのをのばしのばしにしていたのは,もう1報が投稿間際だった,という未練があったのかもしれません.もう,できなかったものはできなかったと潔く認めましょう.さらにもう1報は準備中.
共著は出ました.既に掲載済みになったものが7報,投稿中が1報,投稿目前が1報.
これは目標以上の成果が出たと言っていいでしょう.
プラス,たいへん苦労しましたが,レビューが1報出ました.共著者の同僚に多謝.
自著は,もう少しがんばりましょう,でしたが,目標達成度としては80点くらいあげてもいいのではないかと思います.

C 一冊本を書きたい.
うーん,書けませんでした.洋書の翻訳,というのもありかなと思ったのですが.
手つかずでした.達成度としては0点.

D 子供をもう1人.
有り難いことに,2009年に産まれました.はやいもので,秋には2歳です.
こればっかりは,100点ください.(笑)

近いうちにまた,3年の大目標を掲げたいものです.

2011年6月23日木曜日

中学校で授業をしました

書いておかないと忘れてしまいそうなので,メモメモ.
6月上旬に,中学校で授業をしました.
JSTのSPPというプログラムの一環でした.

百聞は一見にしかず,ということで,蛍光顕微鏡を持ち込ませてもらい,
半分は講義,半分は顕微鏡観察,という構成にしました.

DAPIというDNAに特異的に結合する色素で染色して,UV(紫外線)を照射して観察する,というものでした.この方法,私の出身研究室の必修項目のようなものです.もう何百回もやっているので,すいすいとやってしまうのですが,それでも中学生の方々には物珍しいらしく,皆さん目が輝いておられました.

口腔粘膜の上皮細胞や,オオカナダモを観察しました.
葉緑体は自家蛍光で赤く見えます.
暗いバックに青白いDNAの輝点,赤い葉緑体.
ごくごくありふれたその辺の草を観察しても,びっくりするくらいphotogenicな像が見えることがあります.

講義の時には眠そうだった学生さんもいましたが(笑),顕微鏡を観る段になったら,一人として眠そうな方はいらっしゃいませんでした.
うん,やはり百聞は一見にしかず,だと思います.

2011年6月9日木曜日

論文アクセプトされました

ツイッターやFacebookの方で既に書いてしまいましたが,
先週の木曜日,やっと,やっと,自著論文がアクセプトされました!

前の自著が出てから,あまりにもインターバルが長すぎて,
そうこうしているうちに第二子妊娠・出産,
復帰したあと去年の夏やっとのことで投稿したのですが,
リジェクトの返事(しかも秋の学会中,自分の発表の前日だったかな),
何度も心が折れそうになりました.
レビューアーが論文の趣旨を勘違いしている向きがあったので,
一度反論をつけて再投稿することにしました.
いくつかデータを足し,誤解を招くような表現を避け,いろいろ修正を加えているうちに,
年を越してしまいました...(遅いっ!と上司に厳しく言われました)

結局再投稿できたのは,地震の後,子供が立て続けにインフルエンザになり,
なかなか出勤できなかった頃.自宅で隙間時間に作業し,投稿も自宅から行いました.

リバイスでOKという返事が来たのが4月の半ば.ただし実験を二つ要求され,
期限は2ヶ月.エディターは実験は1つで良いと言ってくれていましたが,
一応二つとも着手して,結局取れたデータは1つ半程度.

その後は早かったです.
月曜に投稿して,木曜にアクセプトの連絡が来て,土曜にはonline版に載っていました.
そしてすでにaddendumを書かないか,というお誘いが来たりして.
今年はこのままペースを上げて行きたいです.

最近はブログを書く時間がなかなか取れず更新が滞っていましたが,
この話題は自分にとって間違いなく一つの区切り目なので,
記録しておきたいと思った次第です.

2011年4月11日月曜日

卒園式,春休み,入学式

今日で地震から1ヶ月が経ちました.
改めて,今回の震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表するとともに,被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます.

前のエントリでは,息子は卒園式に出席できるか?という時点で終わってしまいました.
その後卒園式前日まで休んで,無事卒園式に出席することができました.
いろいろな意味で感慨深い式となりました.
保護者の方が口にされたフレーズで心に残ったものを紹介します.
「保育園の先生方は,雨の日も,風の日も,雪の日も,そして地震のあったあの日も,子供たちを守って下さいました.深く深く感謝したいと思います.」

そしてその翌週,火曜日から,今度は下の子がインフルエンザを発症しました...
今シーズンは,2人とも,A型もB型も,合計4回やったことになりました.
高熱で熱性痙攣を2回も起こしてしまいました...
1回目の後,急いで病院を受診しました.まだ熱が上がって時間が経っていなかったため,インフルエンザの検査はできず,痙攣止めの座薬を処方してもらいました.
そして帰る途中のセブンイレブンで,2回目の痙攣を起こしてしまいました.
上の子ももう既に5回以上,下の子も先日既に1回熱性痙攣をやっているので,もう見慣れてしまった私ですが,さすがに外で痙攣を起こされた時には狼狽しました.

1日半で一度解熱しましたが,その後再び39℃越えの高熱を出し,さらに丸1日経って解熱しました.これまでは熱があってもベビーシッターさんに預けることも多かったのですが,今回は解熱するまでは仕事を休ませてもらい,子供と一緒に過ごすことにしました.

卒園式が終了した後も,息子は3月31日まで保育園に通い,4月1日からは学童保育へ行きました.翌日は土曜日で,別の場所での学童保育へ行きました.息子は比較的すんなりと学童になじんでくれているようで,安心しました.

その翌週月曜から木曜まで,毎日元気に過ごしていたようです.涙が出たり鼻血が出たりしたこともあったようですが,気持ちの切り替えが早いのが彼の良いところです.

そして金曜日は入学式.
桜の花が満開.風の強い花曇りの日でした.ピンクの桜に黄色い通学帽,いかにもピカピカの一年生でした.
上履きを忘れて,一度家に走って戻りました.大反省.
体育館に入ると,花道の周りに既にお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんが陣取って,カメラを構えていました.私も何とか隙間からアングルを確保できました.
2人一組になって入場.息子は一番最後のクラスで,最後から2番目に出てきました.
45分程度の式でしたが,何とか1年生の子ももちこたえていました.

式が終わった後は写真撮影のクラスと教室で説明を受けるクラスに分かれました.
私たちは先に教室で説明を受け,その後体育館に戻って写真撮影.
終了後,校庭で少し写真撮影して,保育園に報告に行きました.その後私の職場にある保育園にも報告へ.その後家に帰って親子とも着替え,学童へ送って行き,私は職場へ戻りました.
この日は慣れないドレスアップと,その格好で全力疾走したため,へとへとになっていました.

土曜はまた別の学童へ行き,将棋を楽しんだようです.

日曜は,夫のお母さんと妹さんとその旦那さんが遊びに来てくれました.
この日は天気もよく,風もなかったので,再び息子に入学式モードの格好をしてもらい(ランドセルも持たせて),お花見に出かけました.娘もピンク一色のおめかし.桜をバックに何枚も写真を撮りました.娘はすぐに転がり回って枯れ草まみれになってしまいましたが...

そして今日の月曜日.普通の時間帯に登校です.息子は張り切って,目覚ましを設定していた7時よりも20分も早く起きてきました.

明日から,給食がはじまる来週まで,お弁当です.ああそろそろ寝なくてはいけません.

震災の後,原発の問題も収束しませんし,余震も続いています.心が落ち着かない日々ですが,それでもなお,こうして日常を送れることを感謝しつつ,被災された方々のために,自分ができるアクションを起こして行きたいと思います.

2011年3月22日火曜日

巨大地震

このたびの東北関東大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに,被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます.

3月11日の東北関東大震災から早くも10日以上経ちました.
あまりに変化が大きすぎて,既に記憶が曖昧になりつつあります.
今憶えている限り,何があったか書き残しておこうと思います.

3月11日(金)
この日の朝方に見た夢,異国(インド?)で散歩していたら,火山の爆発が起こり,大量の土砂が押し寄せてくる,というものでした.
兄がちょうどインドに行っている頃だったのでものすごく不安になりました.
ツイッターで確認したところ,既に帰国しているとのこと,ひとまず安心し,以下のようにつぶやきました.

chieko_mama Mar 11, 7:40am via HootSuite
今日は異国で散歩中に火山の爆発という災害に見舞われるという夢を見た.何か最近夢見悪いな.

子供を保育園に送り,職場へ.
アルバイトの学生さんはこの日Fさん1人.
論文投稿目前で,共著者からいただいたコメントに対応していました.
私は何だか落ち着かず,とにかく論文の作業に集中しようと努めていました.

Fさんに,ぶっ続けで顕微鏡スクリーニングしていると疲れるから一息入れて別の作業をしましょうか,と声をかけた時,実験室の時計を見たのを憶えています.2時45分頃でした.

その後廊下にいる時に,強い揺れを感じました.
かなり強いものでしたが,長く続く横揺れが主だったので,震源は遠くだと直感しました.
(中学の頃に体験した日本海中部地震は,もっと縦にガンガン揺れました.)

実験室で火を使っていないか声をかけ,揺れがおさまりかけた頃に自分でも確認しにいきました.

防火扉が自然に閉まってしまったり,実験室で使用中のファルコンチューブが倒れたりしました.オフィスのデスクにあった飲み物がこぼれていました.
実験室の方は幸い,物の落下や棚の転倒などは一切ありませんでした.
(これはひとえに,安全管理部が定期的に行ってくれている安全点検のおかげです.心から感謝しています.普段は「そんな細かい耐震対策しなくちゃいけないの」と思っていましたが,そんな自分を心底反省しました.)

揺れがおさまって,とりあえずメンバーが全員いるか確認しました.周りの研究室に倣い,いったん屋外に避難することにしました.外で待機している時にも数回大きな余震がありました.
外で待機しながら携帯で連絡を取ろうとしましたが,docomoもiPhoneも通じません.やがてワンセグ受信できる人が,仙台を大津波が襲っているというニュースを教えてくれました.

余震の合間に,いったん研究室に戻り,実験の後始末,火の元を確認しました.テクニカルスタッフの方が素早く気がついて,停電に備えて制限酵素類などを非常用電源に接続してある冷蔵庫に移してくれました.
そうこうしているうちにあっという間に1時間くらい経っていました.

アルバイトのFさん,電車が止まって帰宅できないおそれがありました,奇跡的に携帯が通じ,親戚の方が車で迎えに来てくれることになりました.私の家で待ってもらうことにしました.

Fさんに自宅で待ってもらい,私は子供を保育園に迎えに行きました.子供たちと先生は皆園庭に避難していました.既にテントが設営され,乳児クラスはその中に避難していました.娘は先生におんぶしてもらって,テントの中でおやつを食べていました.息子は屋外にいました.幼児クラスの子たちはクラスごとにまとめられ,皆帽子と避難靴を履いて,おとなしく待っていました.子供たちを守ってくれた保育園の先生方には,本当に本当に感謝しています.

自宅に戻り,テレビをつけて,とてつもない津波が東北の太平洋岸を襲ったことを知りました.
あまりの凄まじさに絶句しました.
その後単身赴任中の夫と連絡が取れました.夫はこの日に戻ってくる予定でしたが,首都圏の交通網がストップしていたので,翌日に延期することにしました.

Fさんはその後再び奇跡的に連絡が取れて,親戚の方の車に乗って帰ることができました.他の研究室のメンバーも,それぞれに無事帰宅(あるいは親戚のおうちに到着)されました.車で数人を送ってくれた方もいました,深夜までかかったそうで,頭が下がる思いがしました.

ガスが止まっていたので復帰させました.近所に住む外国人の方が知らないと困るだろうと思い,数軒声をかけて回りました.

3月12日(土)

まんじりともしない夜を過ごし,大きな余震が来たら避難しなくてはいけないかも,と,子供も私も部屋着やパジャマを厚着して過ごしました.3人で近所の床屋さんに行って,髪を切ってもらいました.(私と娘は前髪だけ)
床屋さんのテレビでは福島第一原発のニュースを流しており,一号機の建屋が爆発したことを知りました.
息子は髪を切ってもらう間,珍しく不機嫌で,ぐずぐずしていました.その後発熱によるものと判明しました.夫が無事帰宅しました.

3月13日(日)
夜の間に息子の熱がかなり高くなっていました.ひきつけ防止の座薬を2回入れました.休日も診療しているかかりつけの病院へ行きました.この時私も珍しく発熱していたので,私もみてもらうことにしました.2人ともインフルエンザの検査をし,息子はさらに溶連菌,私は咳が長引いているのでレントゲンを撮りました.結果,息子はインフルエンザB型,私はインフルエンザは出ませんでした.肺もきれいだったそうですが,あまりにも咳が長引くので抗生物質(クラリス)を処方してもらいました.娘にも予防的にタミフルを処方してもらいました.ラボに一度行って,改めて点検するとともに,待機電力を減らすべく,できるだけコンセントを抜きました.

3月14日(月)
夫は朝早くに単身赴任先へ出発しました.こんな時なのでベビーシッターさんを頼む気にもなれず,自宅で子供2人と過ごすことにしました.息子の熱は下がりました.原発のトラブルはどんどん深刻さを増しているように思えました.あまりに心細いので,高島平に一人で暮らしている叔母に連絡を取り,数日泊まってもらうことにしました.叔母が来てくれたおかげで,冷静さと前向きな気持ちを取り戻すことができました.本当に有り難かった.この頃から,買いだめの動きが顕著になりました.

3月15日(火)
息子の登園許可をもらいに病院を受診しました.木曜から登園してよいとのことでした.しかしその夜再び熱が上がりました.土曜に予定されていた卒園式にはもう出席できないかとこの時は思いました.

とりあえず今日はここまでにしておきます.

2011年2月20日日曜日

Kさんからプレゼント

第2子が産まれてから,ベビーシッターさん,ファミサポさん,シルバー人材センターの方々に随分とお世話になりました.のべ10数人の方々に来ていただきました.どの方にも,本当に心から感謝しております.

先日息子は6歳になりました.
今朝出かけようとしたら玄関のところにプレゼントの袋が!
頻繁にお世話になっているKさんからでした.
あけてみたところ,入学準備品がいろいろと入っていました!
お手製の,体操着入れや給食用の巾着袋まで!
息子ももちろん喜んでいますが,母の私も,涙が出そうに嬉しいです!
(私は裁縫が大の苦手です)

いろいろな方々に支えられて,私たち家族は生かされています.
有り難うございます.

「種を蒔く人」のたとえ

最近のわたくし,シロイヌナズナの変異体スクリーニングを鋭意進行中です.
春休みを利用して来て下さっているアルバイトの学生さんたちに,感謝感謝の日々です.
また,サポートしていただいた研究所の男女共同参画委員会にも感謝の意を表します.

さてさてどんな日々を過ごしているかと言いますと.
アルバイトの方々の若い方々と一緒に,連日連日,種蒔きと顕微鏡観察です.
ところが種子によっては,発芽率が非常に悪いものもあり,困っていました.
春化処理(低温,暗所で数日おくこと)を長くしたり,ジベレリン(植物ホルモンの一種で発芽を促進するもの)入りのプレートを試してみたり,赤色光を照射したり(赤色光の照射で内生のジベレリン量が多くなると期待されます)...

顕微鏡観察のあと,有望そうなものを土に植え替えます.その後も大事に大事に飼わないと,途中で枯死してしまいます.
種をとるところまで行ければ,こちらとしては一安心なのですが.

そんな日々を過ごしていたところ.

今日の主日礼拝の聖書の箇所は,ルカによる福音書 8.4-18でした.
有名な「種を蒔く人」のたとえです.

ちょっと長くなりますが,引用します.

大勢の群衆が集まり,方々の町から人々がそばに来たので,イエスはたとえを用いてお話になった.「種を蒔く人が種蒔きに出て行った.蒔いている間に,ある種は道ばたに落ち,人に踏みつけられ,空の鳥が食べてしまった.ほかの種は石地に落ち,目は出たが,水気がないので枯れてしまった.ほかの種は茨の中に落ち,茨も一緒に伸びて,押しかぶさってしまった.また
ほかの種は良い土地に落ち,生え出て,100倍の実を結んだ.」

(中略)

「このたとえの意味はこうである.種は神の言葉である.道端のものとは,御言葉を聞くが信じて救われることのないように,後から悪魔が来て,その心から御言葉を奪い去る人たちである.石地のものとは,御言葉を聞くと喜んで受け入れるが,根がないので,しばらくは信じても,試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである.そして,茨の中に落ちたのは,御言葉を聞くが,途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて,実が熟するまでに至らない人たちである.良い土地に落ちたのは,立派な善い心で御言葉を聞き,よく守り,忍耐して実を結ぶ人たちである.」

実を結ぶに至るには,いろいろなハードルがありますね...
これまでを振り返ると,私は前半の3つ,どれにも当てはまるような気がしてしまいます...

人生でも実験でも,発芽させ,成長させ,実を結ばせることの難しさを思い知る今日この頃といったところでしょうか.(笑)
でも,大事なことは希望を失わないこと.
今日よりも明日,明日よりも明後日と,将来に光を見いだしながら進み続けること.

いつかは実を結ぶことができるように,歩んで行きたいものです.

2011年2月7日月曜日

研究員会議総会.川口淳一郎教授講演,はやぶさ熱再び

去年は議長をさせていただいた研究員会議総会,今年も開催されました.先週の木曜日でした.

何と,あの「はやぶさ」の川口淳一郎教授の特別講演がありました!

心が震えました.涙が出そうになるのをぐっとこらえました.
科学的なテーマの講演を聞いて,泣きそうになるなんて,そんなことあるんだ,と思いました.
1時間強の講演時間がとても短く感じられました.

去年はやぶさの帰還の頃,suikyoさんのツイッターをきっかけに(リンクはブログ記事ですが),すっかり「はやぶさ」のファンになってしまいました.
その後,川口先生は高校の大先輩ということを知り,ますます思い入れが強くなりました.

いつか研究員会議総会の特別講演に来て下さったらいいのにな,とずっと思っていました,その念願が,まさか今年度内に叶うとは思ってもみませんでした.
多忙なスケジュールの中講演をお引き受け下さった川口先生に,また研究員会議幹事会の方々のご尽力に,心から感謝したいと思います.

川口先生の講演会,これからも各地で開催される機会があると思います.
もし,聞きに行けるチャンスがあったら,是非足を運んで下さい.
本当に,本当に,お勧めです.

交流会にも参加して下さったので,著書にサインをいただきました.
息子(5才)にお願いしてもらいました.
家宝にします.

再び「はやぶさ」熱に火がついた私,この本この本DVDを購入しました.

そして昨日の日曜は上野の科学博物館,「空と宇宙展」最終日午後にすべりこみ観覧.
はやぶさの実物大モデルを見ることができました.
やはり実際に見てみると,前から抱いていた印象はかなり違うことに驚かされました.
意外とコンパクトでした.イオンエンジンは特に「この程度の大きさだったのか!」と思うほど.

追記)
このところ,
「ボクね,将来はサッカー選手になりたい」
と言っていた息子,サインをもらった日を境に.
「じゃくさのひとになりたい」
となりました.
サッカー選手になるにはどうしたらいいか,については全くアドバイスできない私ですが,じゃくさのひとになるにはどうしたらいいですかね.

今年の目標追記

そう言えば,3月に国内学会がもう一つありました.

1月  研究グループ内ミーティング,
2月  自著論文再投稿,研究室セミナー,スクリーニング
3月  スクリーニング,国内学会
4月  次の自著論文のFigを完成させる
5月  JSTのグラントに出してみる?
6月  次の自著論文のテキスト完成させる
7月  変異体の遺伝子マッピング進める
8月  次の自著論文投稿,変異体の遺伝子マッピング進める
9月  国内学会
10月 科研費申請
11月 電子顕微鏡ワークショップ
12月 次の次の自著論文Figを完成させる

ひと月に1回くらい見直さないといけないですね.

2011年1月28日金曜日

1歳の冬

娘,1歳の冬です.
はい,次から次へと病気をもらってきます.
12月は,おなかにくる風邪をひきました.
それが治って,やっとインフルエンザの予防接種をしたと思ったら,
接種後一週間もしないうちに水疱瘡にかかりました.
水疱瘡が一段落したと思ったら,2週間くらいで今度はインフルエンザにかかりました.

ベビーシッターさんに随分お世話になっている今日この頃です.
本当に有り難いです.

病気ももらってきますが,できることもちょっとずつ増えました.
①部屋の端から端までよちよち歩き,
②早歩き,ただし数歩,
③歩きながら180度方向転換
部屋の中を,よくうろうろ,うろうろ,しています.

声も,いろいろな発音ができるようになってきました.
何か言おうとしている様子です.

おとなしい子だとばかり思っていましたが,実際はそうでもないみたいです.
これは私に似ています.(笑)

今年の目標

毎年,毎年,達成できないことも多いのですが(特に減量,そして論文),懲りずに目標は立てようと思います.

去年に比べると,何だかすかすかでした.
講義がないからですね.
無理矢理埋めてみましたよ.

1月  研究グループ内ミーティング,
2月  自著論文再投稿,研究室セミナー,スクリーニング
3月  スクリーニング
4月  次の自著論文のFigを完成させる
5月  JSTのグラントに出してみる?
6月  次の自著論文のテキスト完成させる
7月  変異体の遺伝子マッピング進める
8月  次の自著論文投稿,変異体の遺伝子マッピング進める
9月  国内学会
10月 科研費申請
11月 電子顕微鏡ワークショップ
12月 次の次の自著論文Figを完成させる

減量は.去年は結局2キロくらいしか減りませんでした.
9キロ減るはずだったのに.(笑)
なので今年はあえて月ごとには書かないことに.
年間で3キロ減れば上出来としましょう.

あとは,時期は決めませんが,
「フォトリーディングの講習会を受ける」
「英語を話す,聞く機会を倍増させる」
を入れておこうと思います.

これまでの反省ですが,目標を見失ってしまうと意味がないんですよね.
もっと目につく方法/仕組みを考えます.

今年は,子供の小学校進学,夫の単身赴任と,変化が大きいので,少し腰を落ち着けるくらいの気持ちで取り組みたいと思います.

干し芋,黒豆茶

ブログ,このままでは自然消滅の恐れがあると思い,ちょっとしたこともメモしておくことにします.ツイッターの方がつぶやきやすいですが,なかなか過去ログを引っ張ってくることが難しい.

というわけでハードルの低い健康メモでも.

この本をお貸ししたら,お礼にと,Tさんから干し芋をいただきました.

トースターで3分くらい焼くと,こんがり黄色くなって美味しい!しかもヘルシーだし.
Tさん有り難うございました!
かなり大量にいただきました.もしかして本より高価なのでは...恐縮.

そして久しぶりに黒豆茶を見つけたので買ってみました.
以前いただいたのはどこかのお土産だったような気がしますが,今はDHCからも出ているのですね.お茶として飲んだあとは,豆も柔らかくなって食べられます.ふむ.

一時期随分ストイックに食事をコントロールしていましたが,最近はグダグダです.(笑)
また少しずつ変えて行きましょうかね.

2011年1月3日月曜日

あけましておめでとうございます.

久々のブログ更新となりました.
あけましておめでとうございます,今年もどうぞよろしくお願いいたします.

昨年1年間を振り返ってみると...
1月 産休から本格復帰.iPhone購入.
2月 研究グループのミーティング@熱海
3月 第一稿完成,Scansnap導入
4月 非常勤講師
5月 非常勤講師 (息子遠足)
6月 International Conference on Arabidopsis Research@Yokohama, 非常勤講師
7月 非常勤講師,試験
8月 試験採点,論文投稿
9月 植物学会,投稿論文リジェクト...
10月 科研費基盤Cに応募 (娘1歳,息子運動会)
11月 植物電子顕微鏡若手WS
12月 海外からのゲスト(Prof. A. Luini),Uさん

なんだかめまぐるしく過ぎて行って,忘れていることが多い気がします.@o@

年初に立てていた目標を書き出してみます.
達成できたものを○,遅れたものを△,未着手あるいは全く達成できなかったものを×とします.
目標になかったけれども達成したものもありますね,それは◎としましょうか.

1月 ○研究グループ内ミーティング,
2月 △自著論文投稿,○研究推進グループミーティング世話人(プレゼンも多分あり)
3月 △そろそろ授業の準備,△ここまでで2キロ減
4月 ○非常勤講師授業開始(週一コマ,半期)
5月 ○授業,×JSTのグラントに出してみる?
6月 ◎国際学会参加,○授業,×ここまでで4キロ減
7月 ○授業,△論文を書く
8月 ○授業,△論文を書く
9月 ○国内学会,試験かレポート?,×ここまでで6キロ減
10月 ○科研費申請
11月 △論文を書く,◎植物電子顕微鏡若手WS
12月 ×ここまでで9キロ減

「公募に出す」
「マインドマップの講習会を受ける」
「iPhoneを使いこなす」

は,一応どれも着手はしました.
しかし,どれも確固たる成果には繋がりませんでした.残念.
3つの中ではマインドマップが一番手応えがありました.
公募は面接まで行きましたが,私の力不足でした.
自分が今なすべきことを見つめ直す良い機会になったと捉えています.

目標として書き出さなかったけれども新たな習慣として定着したこととしては,
◎教会に行くこと
でした.
ちょうど同じ年頃のお子さんを持つMさんご家族と一緒に母子室で礼拝に参加するうち,子供たちの方が仲良くなりました.教会に行くことが毎週日曜の習慣になりました.

前半は非常勤講師やICAR, 公募の書類の用意や面接の準備など,本当に忙しかったです.
後半は論文のリジェクトや公募の不採用など,負けが混んでしまい,我ながら激しく失速してしまいました.今は随分と立ち直ってきましたが(笑).
(で,ブログの更新も滞っていたというわけです.)

娘は保育園をお休みすることがたびたびありましたが,ベビーシッターさんやFさんに助けていただいて,本当に有り難かったです.職住近接にしたことも大きかったです.

便利ツールとして特筆すべきこととしては,
ScansnapS1500,Evernote, Dropbox, Sugarsyncが大活躍の1年でした.

あと,twitterには随分たくさんつぶやいてしまいました.
(で,ブログの更新も滞っていたというわけです.)

もう少し頑張りたかったことは,読書と英語ですかね.
audiobookをしばらく聞いていましたが,うーん,継続しないとダメですね.

いろいろありましたが,2010年にお世話になった全ての方々に心から感謝いたします!