2011年6月23日木曜日

中学校で授業をしました

書いておかないと忘れてしまいそうなので,メモメモ.
6月上旬に,中学校で授業をしました.
JSTのSPPというプログラムの一環でした.

百聞は一見にしかず,ということで,蛍光顕微鏡を持ち込ませてもらい,
半分は講義,半分は顕微鏡観察,という構成にしました.

DAPIというDNAに特異的に結合する色素で染色して,UV(紫外線)を照射して観察する,というものでした.この方法,私の出身研究室の必修項目のようなものです.もう何百回もやっているので,すいすいとやってしまうのですが,それでも中学生の方々には物珍しいらしく,皆さん目が輝いておられました.

口腔粘膜の上皮細胞や,オオカナダモを観察しました.
葉緑体は自家蛍光で赤く見えます.
暗いバックに青白いDNAの輝点,赤い葉緑体.
ごくごくありふれたその辺の草を観察しても,びっくりするくらいphotogenicな像が見えることがあります.

講義の時には眠そうだった学生さんもいましたが(笑),顕微鏡を観る段になったら,一人として眠そうな方はいらっしゃいませんでした.
うん,やはり百聞は一見にしかず,だと思います.

2011年6月9日木曜日

論文アクセプトされました

ツイッターやFacebookの方で既に書いてしまいましたが,
先週の木曜日,やっと,やっと,自著論文がアクセプトされました!

前の自著が出てから,あまりにもインターバルが長すぎて,
そうこうしているうちに第二子妊娠・出産,
復帰したあと去年の夏やっとのことで投稿したのですが,
リジェクトの返事(しかも秋の学会中,自分の発表の前日だったかな),
何度も心が折れそうになりました.
レビューアーが論文の趣旨を勘違いしている向きがあったので,
一度反論をつけて再投稿することにしました.
いくつかデータを足し,誤解を招くような表現を避け,いろいろ修正を加えているうちに,
年を越してしまいました...(遅いっ!と上司に厳しく言われました)

結局再投稿できたのは,地震の後,子供が立て続けにインフルエンザになり,
なかなか出勤できなかった頃.自宅で隙間時間に作業し,投稿も自宅から行いました.

リバイスでOKという返事が来たのが4月の半ば.ただし実験を二つ要求され,
期限は2ヶ月.エディターは実験は1つで良いと言ってくれていましたが,
一応二つとも着手して,結局取れたデータは1つ半程度.

その後は早かったです.
月曜に投稿して,木曜にアクセプトの連絡が来て,土曜にはonline版に載っていました.
そしてすでにaddendumを書かないか,というお誘いが来たりして.
今年はこのままペースを上げて行きたいです.

最近はブログを書く時間がなかなか取れず更新が滞っていましたが,
この話題は自分にとって間違いなく一つの区切り目なので,
記録しておきたいと思った次第です.

2011年4月11日月曜日

卒園式,春休み,入学式

今日で地震から1ヶ月が経ちました.
改めて,今回の震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表するとともに,被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます.

前のエントリでは,息子は卒園式に出席できるか?という時点で終わってしまいました.
その後卒園式前日まで休んで,無事卒園式に出席することができました.
いろいろな意味で感慨深い式となりました.
保護者の方が口にされたフレーズで心に残ったものを紹介します.
「保育園の先生方は,雨の日も,風の日も,雪の日も,そして地震のあったあの日も,子供たちを守って下さいました.深く深く感謝したいと思います.」

そしてその翌週,火曜日から,今度は下の子がインフルエンザを発症しました...
今シーズンは,2人とも,A型もB型も,合計4回やったことになりました.
高熱で熱性痙攣を2回も起こしてしまいました...
1回目の後,急いで病院を受診しました.まだ熱が上がって時間が経っていなかったため,インフルエンザの検査はできず,痙攣止めの座薬を処方してもらいました.
そして帰る途中のセブンイレブンで,2回目の痙攣を起こしてしまいました.
上の子ももう既に5回以上,下の子も先日既に1回熱性痙攣をやっているので,もう見慣れてしまった私ですが,さすがに外で痙攣を起こされた時には狼狽しました.

1日半で一度解熱しましたが,その後再び39℃越えの高熱を出し,さらに丸1日経って解熱しました.これまでは熱があってもベビーシッターさんに預けることも多かったのですが,今回は解熱するまでは仕事を休ませてもらい,子供と一緒に過ごすことにしました.

卒園式が終了した後も,息子は3月31日まで保育園に通い,4月1日からは学童保育へ行きました.翌日は土曜日で,別の場所での学童保育へ行きました.息子は比較的すんなりと学童になじんでくれているようで,安心しました.

その翌週月曜から木曜まで,毎日元気に過ごしていたようです.涙が出たり鼻血が出たりしたこともあったようですが,気持ちの切り替えが早いのが彼の良いところです.

そして金曜日は入学式.
桜の花が満開.風の強い花曇りの日でした.ピンクの桜に黄色い通学帽,いかにもピカピカの一年生でした.
上履きを忘れて,一度家に走って戻りました.大反省.
体育館に入ると,花道の周りに既にお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんが陣取って,カメラを構えていました.私も何とか隙間からアングルを確保できました.
2人一組になって入場.息子は一番最後のクラスで,最後から2番目に出てきました.
45分程度の式でしたが,何とか1年生の子ももちこたえていました.

式が終わった後は写真撮影のクラスと教室で説明を受けるクラスに分かれました.
私たちは先に教室で説明を受け,その後体育館に戻って写真撮影.
終了後,校庭で少し写真撮影して,保育園に報告に行きました.その後私の職場にある保育園にも報告へ.その後家に帰って親子とも着替え,学童へ送って行き,私は職場へ戻りました.
この日は慣れないドレスアップと,その格好で全力疾走したため,へとへとになっていました.

土曜はまた別の学童へ行き,将棋を楽しんだようです.

日曜は,夫のお母さんと妹さんとその旦那さんが遊びに来てくれました.
この日は天気もよく,風もなかったので,再び息子に入学式モードの格好をしてもらい(ランドセルも持たせて),お花見に出かけました.娘もピンク一色のおめかし.桜をバックに何枚も写真を撮りました.娘はすぐに転がり回って枯れ草まみれになってしまいましたが...

そして今日の月曜日.普通の時間帯に登校です.息子は張り切って,目覚ましを設定していた7時よりも20分も早く起きてきました.

明日から,給食がはじまる来週まで,お弁当です.ああそろそろ寝なくてはいけません.

震災の後,原発の問題も収束しませんし,余震も続いています.心が落ち着かない日々ですが,それでもなお,こうして日常を送れることを感謝しつつ,被災された方々のために,自分ができるアクションを起こして行きたいと思います.

2011年3月22日火曜日

巨大地震

このたびの東北関東大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに,被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます.

3月11日の東北関東大震災から早くも10日以上経ちました.
あまりに変化が大きすぎて,既に記憶が曖昧になりつつあります.
今憶えている限り,何があったか書き残しておこうと思います.

3月11日(金)
この日の朝方に見た夢,異国(インド?)で散歩していたら,火山の爆発が起こり,大量の土砂が押し寄せてくる,というものでした.
兄がちょうどインドに行っている頃だったのでものすごく不安になりました.
ツイッターで確認したところ,既に帰国しているとのこと,ひとまず安心し,以下のようにつぶやきました.

chieko_mama Mar 11, 7:40am via HootSuite
今日は異国で散歩中に火山の爆発という災害に見舞われるという夢を見た.何か最近夢見悪いな.

子供を保育園に送り,職場へ.
アルバイトの学生さんはこの日Fさん1人.
論文投稿目前で,共著者からいただいたコメントに対応していました.
私は何だか落ち着かず,とにかく論文の作業に集中しようと努めていました.

Fさんに,ぶっ続けで顕微鏡スクリーニングしていると疲れるから一息入れて別の作業をしましょうか,と声をかけた時,実験室の時計を見たのを憶えています.2時45分頃でした.

その後廊下にいる時に,強い揺れを感じました.
かなり強いものでしたが,長く続く横揺れが主だったので,震源は遠くだと直感しました.
(中学の頃に体験した日本海中部地震は,もっと縦にガンガン揺れました.)

実験室で火を使っていないか声をかけ,揺れがおさまりかけた頃に自分でも確認しにいきました.

防火扉が自然に閉まってしまったり,実験室で使用中のファルコンチューブが倒れたりしました.オフィスのデスクにあった飲み物がこぼれていました.
実験室の方は幸い,物の落下や棚の転倒などは一切ありませんでした.
(これはひとえに,安全管理部が定期的に行ってくれている安全点検のおかげです.心から感謝しています.普段は「そんな細かい耐震対策しなくちゃいけないの」と思っていましたが,そんな自分を心底反省しました.)

揺れがおさまって,とりあえずメンバーが全員いるか確認しました.周りの研究室に倣い,いったん屋外に避難することにしました.外で待機している時にも数回大きな余震がありました.
外で待機しながら携帯で連絡を取ろうとしましたが,docomoもiPhoneも通じません.やがてワンセグ受信できる人が,仙台を大津波が襲っているというニュースを教えてくれました.

余震の合間に,いったん研究室に戻り,実験の後始末,火の元を確認しました.テクニカルスタッフの方が素早く気がついて,停電に備えて制限酵素類などを非常用電源に接続してある冷蔵庫に移してくれました.
そうこうしているうちにあっという間に1時間くらい経っていました.

アルバイトのFさん,電車が止まって帰宅できないおそれがありました,奇跡的に携帯が通じ,親戚の方が車で迎えに来てくれることになりました.私の家で待ってもらうことにしました.

Fさんに自宅で待ってもらい,私は子供を保育園に迎えに行きました.子供たちと先生は皆園庭に避難していました.既にテントが設営され,乳児クラスはその中に避難していました.娘は先生におんぶしてもらって,テントの中でおやつを食べていました.息子は屋外にいました.幼児クラスの子たちはクラスごとにまとめられ,皆帽子と避難靴を履いて,おとなしく待っていました.子供たちを守ってくれた保育園の先生方には,本当に本当に感謝しています.

自宅に戻り,テレビをつけて,とてつもない津波が東北の太平洋岸を襲ったことを知りました.
あまりの凄まじさに絶句しました.
その後単身赴任中の夫と連絡が取れました.夫はこの日に戻ってくる予定でしたが,首都圏の交通網がストップしていたので,翌日に延期することにしました.

Fさんはその後再び奇跡的に連絡が取れて,親戚の方の車に乗って帰ることができました.他の研究室のメンバーも,それぞれに無事帰宅(あるいは親戚のおうちに到着)されました.車で数人を送ってくれた方もいました,深夜までかかったそうで,頭が下がる思いがしました.

ガスが止まっていたので復帰させました.近所に住む外国人の方が知らないと困るだろうと思い,数軒声をかけて回りました.

3月12日(土)

まんじりともしない夜を過ごし,大きな余震が来たら避難しなくてはいけないかも,と,子供も私も部屋着やパジャマを厚着して過ごしました.3人で近所の床屋さんに行って,髪を切ってもらいました.(私と娘は前髪だけ)
床屋さんのテレビでは福島第一原発のニュースを流しており,一号機の建屋が爆発したことを知りました.
息子は髪を切ってもらう間,珍しく不機嫌で,ぐずぐずしていました.その後発熱によるものと判明しました.夫が無事帰宅しました.

3月13日(日)
夜の間に息子の熱がかなり高くなっていました.ひきつけ防止の座薬を2回入れました.休日も診療しているかかりつけの病院へ行きました.この時私も珍しく発熱していたので,私もみてもらうことにしました.2人ともインフルエンザの検査をし,息子はさらに溶連菌,私は咳が長引いているのでレントゲンを撮りました.結果,息子はインフルエンザB型,私はインフルエンザは出ませんでした.肺もきれいだったそうですが,あまりにも咳が長引くので抗生物質(クラリス)を処方してもらいました.娘にも予防的にタミフルを処方してもらいました.ラボに一度行って,改めて点検するとともに,待機電力を減らすべく,できるだけコンセントを抜きました.

3月14日(月)
夫は朝早くに単身赴任先へ出発しました.こんな時なのでベビーシッターさんを頼む気にもなれず,自宅で子供2人と過ごすことにしました.息子の熱は下がりました.原発のトラブルはどんどん深刻さを増しているように思えました.あまりに心細いので,高島平に一人で暮らしている叔母に連絡を取り,数日泊まってもらうことにしました.叔母が来てくれたおかげで,冷静さと前向きな気持ちを取り戻すことができました.本当に有り難かった.この頃から,買いだめの動きが顕著になりました.

3月15日(火)
息子の登園許可をもらいに病院を受診しました.木曜から登園してよいとのことでした.しかしその夜再び熱が上がりました.土曜に予定されていた卒園式にはもう出席できないかとこの時は思いました.

とりあえず今日はここまでにしておきます.

2011年2月20日日曜日

Kさんからプレゼント

第2子が産まれてから,ベビーシッターさん,ファミサポさん,シルバー人材センターの方々に随分とお世話になりました.のべ10数人の方々に来ていただきました.どの方にも,本当に心から感謝しております.

先日息子は6歳になりました.
今朝出かけようとしたら玄関のところにプレゼントの袋が!
頻繁にお世話になっているKさんからでした.
あけてみたところ,入学準備品がいろいろと入っていました!
お手製の,体操着入れや給食用の巾着袋まで!
息子ももちろん喜んでいますが,母の私も,涙が出そうに嬉しいです!
(私は裁縫が大の苦手です)

いろいろな方々に支えられて,私たち家族は生かされています.
有り難うございます.

「種を蒔く人」のたとえ

最近のわたくし,シロイヌナズナの変異体スクリーニングを鋭意進行中です.
春休みを利用して来て下さっているアルバイトの学生さんたちに,感謝感謝の日々です.
また,サポートしていただいた研究所の男女共同参画委員会にも感謝の意を表します.

さてさてどんな日々を過ごしているかと言いますと.
アルバイトの方々の若い方々と一緒に,連日連日,種蒔きと顕微鏡観察です.
ところが種子によっては,発芽率が非常に悪いものもあり,困っていました.
春化処理(低温,暗所で数日おくこと)を長くしたり,ジベレリン(植物ホルモンの一種で発芽を促進するもの)入りのプレートを試してみたり,赤色光を照射したり(赤色光の照射で内生のジベレリン量が多くなると期待されます)...

顕微鏡観察のあと,有望そうなものを土に植え替えます.その後も大事に大事に飼わないと,途中で枯死してしまいます.
種をとるところまで行ければ,こちらとしては一安心なのですが.

そんな日々を過ごしていたところ.

今日の主日礼拝の聖書の箇所は,ルカによる福音書 8.4-18でした.
有名な「種を蒔く人」のたとえです.

ちょっと長くなりますが,引用します.

大勢の群衆が集まり,方々の町から人々がそばに来たので,イエスはたとえを用いてお話になった.「種を蒔く人が種蒔きに出て行った.蒔いている間に,ある種は道ばたに落ち,人に踏みつけられ,空の鳥が食べてしまった.ほかの種は石地に落ち,目は出たが,水気がないので枯れてしまった.ほかの種は茨の中に落ち,茨も一緒に伸びて,押しかぶさってしまった.また
ほかの種は良い土地に落ち,生え出て,100倍の実を結んだ.」

(中略)

「このたとえの意味はこうである.種は神の言葉である.道端のものとは,御言葉を聞くが信じて救われることのないように,後から悪魔が来て,その心から御言葉を奪い去る人たちである.石地のものとは,御言葉を聞くと喜んで受け入れるが,根がないので,しばらくは信じても,試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである.そして,茨の中に落ちたのは,御言葉を聞くが,途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて,実が熟するまでに至らない人たちである.良い土地に落ちたのは,立派な善い心で御言葉を聞き,よく守り,忍耐して実を結ぶ人たちである.」

実を結ぶに至るには,いろいろなハードルがありますね...
これまでを振り返ると,私は前半の3つ,どれにも当てはまるような気がしてしまいます...

人生でも実験でも,発芽させ,成長させ,実を結ばせることの難しさを思い知る今日この頃といったところでしょうか.(笑)
でも,大事なことは希望を失わないこと.
今日よりも明日,明日よりも明後日と,将来に光を見いだしながら進み続けること.

いつかは実を結ぶことができるように,歩んで行きたいものです.

2011年2月7日月曜日

研究員会議総会.川口淳一郎教授講演,はやぶさ熱再び

去年は議長をさせていただいた研究員会議総会,今年も開催されました.先週の木曜日でした.

何と,あの「はやぶさ」の川口淳一郎教授の特別講演がありました!

心が震えました.涙が出そうになるのをぐっとこらえました.
科学的なテーマの講演を聞いて,泣きそうになるなんて,そんなことあるんだ,と思いました.
1時間強の講演時間がとても短く感じられました.

去年はやぶさの帰還の頃,suikyoさんのツイッターをきっかけに(リンクはブログ記事ですが),すっかり「はやぶさ」のファンになってしまいました.
その後,川口先生は高校の大先輩ということを知り,ますます思い入れが強くなりました.

いつか研究員会議総会の特別講演に来て下さったらいいのにな,とずっと思っていました,その念願が,まさか今年度内に叶うとは思ってもみませんでした.
多忙なスケジュールの中講演をお引き受け下さった川口先生に,また研究員会議幹事会の方々のご尽力に,心から感謝したいと思います.

川口先生の講演会,これからも各地で開催される機会があると思います.
もし,聞きに行けるチャンスがあったら,是非足を運んで下さい.
本当に,本当に,お勧めです.

交流会にも参加して下さったので,著書にサインをいただきました.
息子(5才)にお願いしてもらいました.
家宝にします.

再び「はやぶさ」熱に火がついた私,この本とこの本とDVDを購入しました.

そして昨日の日曜は上野の科学博物館,「空と宇宙展」最終日午後にすべりこみ観覧.
はやぶさの実物大モデルを見ることができました.
やはり実際に見てみると,前から抱いていた印象はかなり違うことに驚かされました.
意外とコンパクトでした.イオンエンジンは特に「この程度の大きさだったのか!」と思うほど.

追記)
このところ,
「ボクね,将来はサッカー選手になりたい」
と言っていた息子,サインをもらった日を境に.
「じゃくさのひとになりたい」
となりました.
サッカー選手になるにはどうしたらいいか,については全くアドバイスできない私ですが,じゃくさのひとになるにはどうしたらいいですかね.