2012年7月8日日曜日

着任にまつわる冒険の日々(主に子連れ通勤)

6月末日をもって,これまで勤務していた研究所を退職し,7月1日付けで,大学に着任しました.

それに伴い,新しい勤務地に近いところに保育園を見つけたいということで.
6月に,下の子が入れる認可保育園の枠があることに気付き(というか教えてもらい),それに応募するため転居を決断しました.
ただし,上の子の小学校の終業式までは通わせたいので,現在の居住地には7月末まで住むことに.
下の子の認可保育園は,ダメもとで出してみたのですが,大変幸運なことに入所が許可されました.

というわけで,今週は,2歳児を連れて和光市〜本郷三丁目の通勤を5日しました.
感想を端的に言うと.
「毎日冒険気分だぜ〜」
内訳は,電車3日,自家用車2日.

以下具体的な事例
電車編:
①電車の揺れで娘が転ぶこと多数(>2回/日).
②ちょっとした人ごみで娘が後ろにいないなと気づいたら,5mほど後方にいて,私を見失って転び泣き叫ぶ5秒前の様相(そして私が駆け寄り抱き上げると号泣).
③電車内で機嫌を取るためにお菓子を与え過ぎ.
自家用車編:
①国道254ほぼ一本道のはずなのに,車線の選択を誤り池袋駅方面にに降りてしまったり.
②自家用車で通勤するってのは(期間限定とは言え)CO2を排出しすぎなんじゃないかと,職業的ミッションとの板挟み.
③通勤中事故を起こしてしまったらどうしようという精神的負担.
④駐車場代が結構かかる.しかも毎日100円玉500円玉または千円札でそれに備えなければならない.(駐車券入れた直後に財布の中が万札だけ,というのはアウト.しかもそういう事態はお迎えギリギリに起こる.)

ちなみに,電車は,池袋までの行き方が,
(1)東上線
(2)副都心線
(3)有楽町線
があり,(1)と(2)は快速(急行,準急)があります.

池袋まではいろいろ試してみました.
丸ノ内線は,とりあえずどう行っても厳しいです.
防衛策は,真ん中付近の車両に乗る,ってことくらいです.

保育園,9時15分くらいまでに登園して下さい,と言われて(区の書類には9時半までとある) がんばってみましたが,駅から徒歩の時間も鑑み9時くらいに目的地に着こうとするとどうしてもかなりの満員電車です.
9時15分から9時30分くらいに着けばいいということであれば,少し気が楽なのですが...

以下気づいたのことです.
【電車編】
●東上線の準急や急行は,混み過ぎで,15分間2歳児を連れて乗るのは至難.
●かといって,和光市駅始発の副都心線は,池袋終点なわけではないので,最初は空いていても小竹向原くらいからどん乗ってきて,池袋で降りるときには大変なことになる(だっこしている余裕はなく,ムスメの両脇をかかえて降りる感じ.多分有楽町線も同じかな).
●副都心線の始発に和光市で乗ったときに,座っていたお兄さんが「座りますか?」と席をゆずってくれそうになったが,余裕こいて「大丈夫です♪」と答えてしまった.あとで,ああ,やっぱり譲ってもらえばよかったと.
●安全なのは,東上線で成増まで準急か各駅で行って,成増からの各駅に乗る事.ただしこれは時間がかなりかかることを覚悟.(もしかしたら,成増でコインパークに車を停めるのがいいのかもしれない)
●荷物の多い月金は,ほんと厳しい.デイパックを背負うのがいいかも.
(そういうお父さんに電車でお会いした)

 【車編】
●保育園の一番近くにあるコインパーキング,空いているとは限らない.
●しかもそこは一方通行に面しているので注意.
●商店街の方にパーキングロットがあるので全く停められないというわけではない.
●でもとにかく事故が怖い.
●しかも車線変更を誤り焦ると(特に帰路は)精神的によろしくない.

ええと,来週からどうしましょう.
いっそ自宅でベビーシッターさんにみていてもらったほうが,母子とも体力的精神的負担は少ないとは思います.はい,経済的負担は大きくなりますが.

まぁ,上の子が1学期の終業式まで今の小学校に通うことができて,文京区への引っ越しが終わるまで,期間限定であるというのが救いです.毎日冒険気分で乗り切ればいいのでしょうか.それでも同じ轍をふまないように,改善,改善していきたいものです.

最後に,ぐっときた話を.

金曜日,なかなか仕事が切り上げられず,走って保育園に向かい,18時15分ぎりっぎりでお迎えに間に合った.雨の中,シーツやタオルケットなど普段よりも多い荷物と傘をかかえ,郵便物を投函したかったので寄り道しながら駅に到着.本郷三丁目の駅前でも人ごみのせいで一回はぐれて転んで娘大泣き.上の子の学童のお迎えもあるので気が急いたが,お友達のおうちにいると友達のママからメールで安心した.

丸の内線がちょうど来たので乗り込んだら思いのほか混んでいた.
荷物が多くて難儀していたら,たいへんはっきりとした大きな声で,
「ここに座って下さい!」

私がいた出入り口付近から数歩離れたところからその声はしていて,人の陰になってすぐには見えなかったけれど,私よりも少し若いくらいの男性だった.
彼は立ち上がって私たちに席に座るよう促してくれた.
その動作だけでも彼は後ろの人を押してしまうくらいの混み具合だった.
「ご親切に,有り難うございます」

なんとかようやくお礼の言葉を発して,娘を膝に乗せ,座った.
このところ大変タフな毎日を過ごしていたが,ずっと涙は堪えていた.
7年半お世話になった職場を離れるときも,上の子もお世話になったとても大好きな保育園にさよならするときも.

でもこのときばかりは本当に涙があふれそうになった.
その人は次の駅で降りて行き,私が少し震える声で絞り出すように改めてお礼を言うと,笑顔で応えてくれた.

次は東上線,各駅停車でもかなりの混みよう.
時間はかかったが何とか最寄り駅に到着.
19時半をまわっていた.
上の子が学童に残っていたら,絶対に間に合わない時間だ.
車で上の子が寄っているお友達の家に向かった.
さて今日はこんなに疲れ果てているけれど何を作って子供たちと食べようか,と思いめぐらしながら.

お友達の家に到着したら,
「もう〇〇ちゃんお風呂一緒に入ってカレー食べてるよ,ママたちも一緒に夕食食べて行きなよ?」

このときも,本当に涙が出そうになった.
この日のカレー,マカロニとキャベツと魚肉ソーセージのサラダの味,私は一生忘れないでいたい.娘が残した分も全部,有り難く,きれいにいただいた.

私はこれらのことに,どうやって恩返しをしたらいいのか.いろんなことを考えた.
私が今やらせていただいている仕事を,与えられたチャンスを,降りかかってくるさまざまな試練を,一つ一つを新たなチャレンジ,あるいは冒険と思って乗り越えていくこと.
私が困っていたときに手を差し伸べてくれた人にお返しするだけでなく,誰か困っている人がいたら,自分がしてもらったように手を差し伸べること.

シンプルなことからとりあえず.
まずはそこから.
 




2012年6月13日水曜日

転出します

実は,転出が決まりました.

公募にはこれまでも何度か出してきたのですが,連敗していました.
しかもその連絡が来るのってタイミング的にたいてい秋冬で.
冬が苦手な私は,毎日どよーんとした気持ちで過ごしたものでした.

今回は年度の終わりに募集があって,自分でもびっくりするほど短期間で
決まってしまいました.
任期付の准教授なので,人によっては,
「おめでとうございます,...,って言って良いんですかね」
とおっしゃる方も.(笑)
「良いんです!(以下同文,の状況説明)」
と答えるようにしています.(笑)

あと多かったのが,ご挨拶のときに,
「転出する事になりまして...,」
と話を切り出すと,
「あ,(ご主人のいる)M市の方?」
という方も多かったです.
「いえ,実はそうではなくて...」

で,転出に伴って,引っ越しすることになりました.
こちらも,ほんとそんな短期間で決めていいのか,っていうくらいの
時間で決断してしまいました.

私は,ほんとめんどくさがりなので,
「今年度はここ(今住んでいる場所,新しい職場へは片道1時間)から通おう〜. 」
「住みやすいし〜,緑も多いし〜,何と言ってもいままでつながりのある方いっぱいいるし〜...」
「いっそ任期が終わるまでの4年間ここから通おうかな〜」
「そしたら娘は今の保育園で卒園させてあげられるしな〜...」

その背中を思いっきり,ずごーんと押してくれたのは,
大学の女性研究者支援相談室の方でした.

いやー,本当に,思いっきり押してくださいました.
そこからはもう自動的に突っ走っているような状況.
ああもう少しでこの町ともお別れだ,と思うとしょっちゅう泣きそうになりますが.

ほんとしょっちゅう泣きそうになるんですが,
片道ほんの1時間だし.
ミシガンみたいに遠いわけじゃないし.
遠く離れたミシガン時代の友達も,facebookやlinkedinでつながっているし.

と自分を奮い立たせています.

ぼちぼち,保育園でも,先生方やお友達のママに,
「近々引っ越す事になりまして」
と言って,ご挨拶をして回る毎日.

あまり今まで話したことのない保育園のママさんと話すと,
「引っ越しされるというと,旦那さんの転勤?」
といったニュアンスの方も多く.

「あ,ダンナは単身赴任で,私が転職するんです...」
と言うと,驚かれました.

やっぱそういうものですかね.
まぁ,そりゃそうですよね.

 てなわけで,私の職歴とライフイベントは,
①ポスドク1回目 
 3年任期の最後の方で結婚.
②ポスドク2回目 
 結婚して3週間で東京と奈良に離れて住む.
(というか,居住地が離れることが決まっていたので,結婚することにした)
③ポスドク2回目の間に留学 
 夫が半年先に行って私が追いかける.
④研究所の定年制研究員 
 妊娠中に帰国して着任,
 アメリカに戻って出産と育休,
 0歳児を連れて単身帰国,
 その後夫が同じ研究所の同じキャンパスに任期付の職を得て,
 その後2人目が生まれ,
 まもなく夫の任期が切れて別の研究所にポストを得て単身赴任に. 
⑤任期付(4年)の准教授 子供2人連れて引っ越し
ということになりました.

もう子供は生まない予定なので,ここから先大きなライフイベントは
なく,楽になる一方のはずです.(笑)

2008年に,

〈3年後の大目標〉
・現在勤務している研究所以外からオファーが来るような業績を出す
※補記:3年後はちょうど夫の任期が切れたあとで,彼はどこか別の研究所に移っている予定,彼の異動先に私向きのポストがあるかどうかはかなーり難しい.でも,「おくさん連れてこられたら困るよー」というのではなくて,「おくさん来てくれてもいいよー」の方がいい.http://pawawappu.blogspot.jp/2008/08/blog-post.html

と書いていましたが,まぁしばらくは別々で頑張ります.
今度の場所の方が,やや,M市からは近くなるかな.

今さらながら,こんまりさんの,
「人生がときめく片付けの魔法」
などを読んで,引っ越し準備をしております.

今後とも,どうぞよろしくお願いいたします.



2012年5月17日木曜日

イチョウ精子の発見と平瀬作五郎氏

Facebookにも書きましたが,こちらにも転載しておきます.
ロゴマーク関連でご指摘があり,どうして東大のマークはイチョウなのかな?という疑問が出てきたのが発端でした.
それで,イチョウ精子の発見と平瀬作五郎氏について調べていたら,長田敏行先生によるこちらの文章に辿り着きました.
http://bsj.or.jp/JPR/icho.html
http://bsj.or.jp/JPR/icho2.html 

東京大学開学わずか19年,当時ヨーロッパの著名な学者でもなし得なかった大発見を,どうして平瀬作五郎氏が成功させることができたのか.日本の剃刀をよく研いで切片を作成したとか,木登りが得意で大イチョウからたくさん銀杏を取れたとか,そもそもヨーロッパに比べてイチョウの木が身近にたくさんあり,材料の入手に困らなかったとか,成功の要因はいろいろあったようですが,それでも,精子ができるのは9月の第一週頃でほんの一日しかないそうで,大変な努力の賜物だったと推察されます.その後まもなく平瀬作五郎氏は東大を去ることになります.後年,共同で研究を行った池野成一郎氏(ソテツ精子の発見者)が,最初の学士院恩賜賞に推薦された時,はじめは単独で推薦されたものの,平瀬と一緒なら受けてもよい,ということで両者での受賞が決まったそうです.
長田先生は,植物学教室時代にお世話になりました.今回のこの文章を拝読して,尊敬の念を新たにしました. シュトラスブルガーの論文を探しあてたくだりは,なんだか情景が目に浮かんでしまって,不思議な感慨がこみ上げました.登場する人物の描写も詳細になされており(なおかつきちんと出典付きで!),構成力と調査力に驚嘆しました.
 

日本植物学会 ロゴマーク

学会員による最終投票が行われています!6月18日〆切です.
植物学会員の皆様,投票をお願い致します.(て,このブログを読んでいる植物学会員の方がいるんでしょうか!?)
お知らせ欄のリンクをクリックすると,17候補を見ることができますよ.
http://bsj.or.jp/nc2/htdocs/?action=cabinet_action_main_download&block_id=127&room_id=58&cabinet_id=1&file_id=42&upload_id=98
 

2012年5月15日火曜日

「『有名人になる』ということ」 壮大な実験とそのレポート

勝間さんの新刊,「『有名人になる』ということ」 を読みました.

先週の頭,〆切仕事に追われながらtwitterなどを眺めていたら,この新刊,評判が良くどうも品薄らしいということ.
(ミニパーティーで干場社長から聞きましたが,前の本の売り上げによって,初版を何部刷るか決めるのだそうです.で,今回は少なかったらしいのです.)

そこでDiscover21のサイトから,電子書籍と紙の書籍セットで購入.
電子書籍,決済が終わったらすぐに読めると思っていたのですが,そういうわけではなく2日くらいかかりました.(仕事でオンラインジャーナルに慣れすぎたせいですね.)
ついでに,出版記念ミニパーティーも勢いでポチっとしてしまいました.
それが確か先週の頭.ミニパーティーの前に読んでしまわないと...,と思っていたので少しじりじりしました.
結局水曜か木曜には読めるようになっていて,パーティーの直前で何とかiPhoneで読了.

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ここから,ちょっと昔を思い出してみます.

私はsuikyoさんに教えてもらって,2006年頃からムギ畑の会員になったり,勝間さんのブログを読んでいました.
第一子が1才そこそこで,仕事と家庭の両立に悩みまくっていました.
そこで輝く星のような存在だったのがムギさん,すなわち勝間さんでした.
シングルでお子さんが3人いて,バリバリのキャリアウーマンで.
今は閉館してしまった女性と仕事の未来館で行われたムギ畑のイベントにも参加したりして.
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2006/11/1111__8dd6.html
この時リアルの勝間さんをはじめて見ました.
処女作の「インディで行こう!」も買いました.
これに触発されて,育児ブログを始めたりして.
 その後ムギさん改め勝間さん,会社辞めて独立したらしいとの話を聞き.

そして1年もしないうちに,あの大ブームがやってきました.2008年です.
このブログも2008年春,「自分をグーグル化する方法」に触発されて始めています.

その後ものすごい勢いでメディアに浸透し,認知度(この本で言うところの「非助成認知率」)が高まっていったわけです.

その時思ったのが,

「勝間さんは,今壮大な実験をしているのではないかしら」
 
明らかに,戦略的にいろいろな次の一手を繰り出し続けているという気がしました.
私のブログの過去記事で,そのような記述を明言している場所を探してみましたが,残念ながら見つからず.
強いて言えば,この記事の「帰路につく」あたりに以下のようにちょっと言及している程度です.もっとちゃんと書いておくんだったなぁ.

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○このインディは,裁断される寸前だったのを,勝間さんがしのびないと思い,セミナー参加者に配ることにしたのだそう.表紙を開くと,"Katsuma Serendipity" とスタンプが捺してありました!おおお.これも何かの実験でしょうか.
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その後,ますます飛ぶ鳥を落とす勢い.昔からのファンだった私は,勝間さんのブレイクを喜ぶとともに, なんだか随分遠い存在になってしまった,という感も否めませんでした.
女性と仕事の未来館のホールですれ違った勝間さんと,テレビの向こうにいる勝間さん.

そして,「結局,女はキレイが勝ち」のあたりから,正直ちょっと違和感を感じるようになってしまいました.

私は第2子出産と復帰でどたばたと日々を過ごしており,ブログの更新も,新刊本チェックも以前ほど熱心ではなくなってしまいました.
(それでも「まじめの罠」とかは買って読んでいました.)
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そしてそこから約2年半.
驚くべきことに,あれは勝間さんの壮大な実験だった,ということがこの本で明らかにされました.私はつい「実験」という言葉を使ってしまいますが,この本の中での表現で言うと,

「有名人ビジネス」
「有名人になるプロジェクト」

を,遂行していたのです.
この本は,その実験結果の報告書,レポート,と言っても良い.

そしてそれをしなければいけなかった理由(会社を辞めて興した投資顧問会社がリーマンショック等の影響で行き詰まった)が冒頭で語られていて,
(これは論文やレポートで言うところのIntroductionにあたるかもしれません)
「そういうわけだったのか...」
という気になりました.なぜ,当時あそこまでやっていたのか.一気に腑に落ちました.

しかしその後語られる「有名人になること」のデメリットについてや,「終わコン」のくだりでは,もう,読んで胸が痛くなりました.何もそこまでして...,という気持ちでいっぱいになりました.

はい,ここで私が普通の人,一般の人,凡人だということがわかります.
「何もそこまでして...」
と思うのは,一般人,普通の人,なんです.

勝間さんや,私のもう一人の敬愛するおっかさん先生,西原理恵子先生は(この本の帯もサイバラ先生がイラスト書いてます)が一般人と違うのは,

負けても負けても負けても負けても負けても
また
じゃんけんじゃんけんまたじゃんけん
を繰り出せる精神力の持ち主,というところなのです.

バスケットボールやサッカーでは,
「シュートは打たなくては入らない」,
とよく言います.
普通の人は,あるところでシュート練習を,あるいは試合でシュートを打つ事を,
そしてあるいは試合に出る事自体を,さらに言うとそのスポーツをすることそのものをやめてしまいます.

シュートが入らなくて辛くても,試合に勝てなくても,試合に出してもらえなくても,
そこでやめない人,シュートを打ち続ける人,しか残れません.
しかも,そこれやめなかったからと言って,次にチャンスがあるかどうかも限らないのに.
それでも練習するのです,シュートを打つのです.次の手を繰り出すのです.

仕事にも似た側面があります.
シュートを打ち続けるのが厳しくなったらアシストに徹することもあるかもしれない,
それでもとにかく試合に出させてもらう.
試合に全然勝てないかもしれない,
それでもとにかく試合をさせてもらう.
怪我で一時期現場を離れなくてはならないこともあるかもしれない,
それでもそのスポーツ自体をやめない,またいつかフィールドに戻ってくることを夢見て続ける.

一握りのスタープレイヤーは,
とにかくやめない→試合をする→試合に出る→試合に貢献→シュートを決める
の最後までやり抜くのです.
負けても負けても負けても負けても負けても,
ある確率で勝つならば,数が多ければいつかは勝てるのです.

勝間さんは,言ってみれば,「有名人になる」というフィールドで,プレイヤーになるために,一つ一つ練習を積み,アクションを起こし,細かにチェックして,次の戦略に結びつけて行ったのでしょう.なので,試合に出し続けてもらえたし,シュートも打つ事ができたということなのでしょう.

2011年は,このビジネスにいったん小休止を入れたそうですが,2012年からまた始めるそうです.

勝間さんの本の特徴は,読者に最終的に行動を促す,という点です.
今回この本を読んで,私自身が「よし,メディアに露出して有名人になろう!」と思って行動を起こすことはしませんが(笑).
自分の行動を戦略と分析の観点から管理するというのは,あらゆる仕事の場面で役に立つことだと思います.
実は近々私にも大きな転機が訪れます.
そのときに,参考にさせてもらおうと思っています.

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追記)
ミニパーティーでは,勝間さんご本人にお会いして,紙の書籍にサインをいただきました.こんな肝心な日に名刺を忘れてしまうという大失態を激しく後悔しましたが,またいつかお会いできることもあるでしょう.

追記)
あと,唐突ですが,
有名人になるということは,究極のメタ認知の方法,なのかもしれません.
茂木健一郎さんもそれを利用していたのかしら.

2012年5月11日金曜日

黒にんにく

そうそう,この間の冬,私のなかでちょっとしたブームだったのが,黒にんにく

最初は,去年の秋実家に帰ったときに,いとこからもらったのでした.
いとこは畑でにんにくを作っていて,それを自家製で黒にんにくにしていたようです.

なんだかそれを食べたら随分体調が良くなった気がして.
新青森駅のお土産屋さんで見つけたり,実家の近所の温泉で見つけたりして,その後もちょこちょこ食べていました.ネットでも2回ほど買いました.

どんなときに効くかというと...,なーんかどよーんと疲れがたまっていて,肩とか腰とかバリバリで,口内炎ができそうだなぁ,なんて時に1粒食べると,元気になるんですよ.
たくさん食べ過ぎるとおなかに来るので,1日1粒程度で十分.
冬場は私は体が冷えるので,毎日のように食べていました.

その後,うちの両親もかなり気に入ったようで.
私がネットで作り方を調べてきたら,早速古い炊飯器を一台黒にんにく作り専用にして,自家製黒にんにく作りをはじめてくれたのです.

で,りんごと一緒に送ってもらって,今も何個も冷蔵庫に入っています.

今年あまり風邪をこじらせたりしなかったのは,この黒にんにくのおかげと思っています.


弁当生活,継続中

私にしては珍しく,お昼お弁当を作って持って行く生活が続いています.

体重は,ある値で「ぴたっ」と下げ止まりました.(笑)
そこを境に跳ね返り,また下がってもそこから跳ね返り,を繰り返している感じです.
まさに,壁です.びよよよ〜ん,て感じで跳ね返ってきます.
そんな近いところに壁があるとは思いませんでしたよ.
 12ヶ月でマイナス12キロとはいかないようです.まぁそうですよね.
たいした運動もしていないし.

貧血は少し良くなったようです.検査は来週かな.

ついに実家から送られてきたりんごが底をついたので(そして多分もう実家にもないらしいです),2月くらいから朝ご飯がわりだったスムージーをどうしようかと思っています.
 今日スーパーに行ってりんごを買おうとしたら,1個160円とかして,ビビりました.
りんごって高いんですね(お米の値段は最近ちょっとはわかってきた,りんごはほんとに買った事ないので値段に疎い)...この時期だからかな.

最近,勝間さんのTwitterを拝見していたら,発芽玄米を自分で作られたとか.
私も4年前,勝間さんに触発されてスキニービッチを買い,コーヒーをやめ,玄米食にして,肉も,卵も,乳製品も摂らない生活をしばらくしていましたっけ,なんてことをつらつら思い出しました.
発芽玄米も,自分で発芽させたりして.
http://pawawappu.blogspot.jp/2008/07/blog-post_13.html
ああ,何か懐かしいですね.

二人目を妊娠するまで何となくそういう生活を続けていて,5キロくらい減ったのかな.
その時点の体重が,現在の「壁」の体重でしたよ.
その後妊娠中〜産後〜現在に至るまで,玄米食とかから離れてしまっていて,今に至ります.久しぶりにまた玄米とか炊いてみましょうかね.

そうそう,その頃,肉や乳製品もやめて,かなりベジタリアンチックな食生活をしていたんですが,ちょっと不思議なくらい,会いたい人に会えたり,運が良かったりしたことを憶えています.

今,また肉を断ったりするのはかなりの精神力が必要そうですが(上の子が肉食系で,ほんと最近食卓に肉がのぼることが多いのです),もう妊娠もしていないし授乳もとっくに終わっているので,またそういう生活に戻すのもいいかなと思ったりしています.ただ,貧血には気をつけないといけないなぁ.



2012年5月8日火曜日

私的Web2.0史

育児ブログを始めたのが2006年春頃.
勉強/研鑽ブログ(このブログ)を始めたのが2008年春頃.
Twitterを始めたのはいつ頃だっけ,2009年の後半か2010年のはじめか.授乳なうとかたくさんつぶやいていた記憶がある.
Facebookを始めたのが2010年春頃で,頻繁に更新し始めたのが2011年春頃.
このあたりで既にLinkedInにもアカウントがあったはず.
その後2012年はじめ頃から,就職活動のためにReseaechgateにもアカウント作り.
そしてTumblrを始めたのが2012年春.

いつもの事ながら,はじめて使うものは,アカウントだけ作ってしばらく放置してしまいます.というわけでTumblrは今のところ放置状態.

何のオチもなくてすみません,とりあえずメモメモ.

2012年4月24日火曜日

「まずはGoogle先生に一度聞きなさい」

今日は,虹色ぐるぐるのアイコンで「〇〇〇の動作が遅いですか?」という広告のソフトをインストールしてみた.最初は無料で診断してくれて,その修復をしようとすると,あるところで「無料で修復できる分は終わりました,これ以上はライセンスを購入してください」てな流れになり,結局購入.1台あたりにするとそんなたいした値段じゃないということで,思い切って3台分購入.1台目にインストールし動作させたところ,それが原因かどうか確信はないものの,エクセルファイルがのきなみ開けなくなって,一瞬凍り付いた.
サポートセンターに問い合わせたりしたあと,いろいろやっていたらいつの間にか治っていた(再起動はせず).その後サポートセンターからは再起動せよとのメッセージが返ってきていた.
しかし,Dropboxに入れていたものが開かなくなると,ほんとに冷や汗ものですね...Sugarsyncも共存させて二重に保険をかけているけど,心臓に悪いです.
さて,私の体験した症状は,本当にこのソフトのせいかどうかはわからないのですが,件のソフトは,よく見る「〇〇〇の動作が遅いですか?」と虹色ぐるぐるが出てくる広告のもの.Googleで検索かけてみたら結構シビアなレビューコメントがたくさん.購入する前にぐぐってみるべきでした.安くない買い物だったし反省.
まぁ,このまま普通に動いてくれれば実害はないので良いとするか.ライセンスは3台分なのでノートにも入れられるのだが,ちょっと躊躇しているところ.
良かった点があったらまた報告します.
今日の教訓 「まずはGoogle先生に一度聞きなさい」

2012年4月20日金曜日

Google analyticsが!ちょっと見ない間に大進化!

最近ブログの更新をさぼっていたので,Google analyticsもしばーらく開いていませんでした.今日ひさびさに見てみたら,ものすごく進化してて驚きました.

県別のアクセス数も見ることができます.あ,青森県はゼロだ...(私青森出身なので)


ifttt

先日こんなツールを見つけました.

ifttt
http://ifttt.com

Evernote,Dropbox,Facebook,Gmail, Google readerなど,いろいろなWEBサービスを連携できてしまうのです.
しかも,別の人が作った連携recipeをそのまま使うこともできて,ちょっと久しぶりに衝撃を受けました.

急にたくさんの人が使い始めたからでしょうか,なかなかつながりにくいというのが難点ですが.

私が導入してみたのは以下の2つ.
Gmailでstarをつけたら,Evernoteに転送.
Google readerでstarをつけたら,Evernoteに転送.

最初は,
「ほんとに動くのかな...」
疑心暗鬼になっていたのですが,ほんとに動きます!すごい!

ただし,Google readerで一度既読にしてしまったものについてはダメなのかしらん,うまく行くものとそうでないものがあります.

Evernote上で,自動的にgmail starredとかGreader starredとか別々のノートに入れてくれるのも有り難い.



2012年4月18日水曜日

きらきら2年生

上の子は2年生になりました.
子育てブログの方にも書いたのですが,こちらにもさらっと.
今日息子は見たいテレビがあるとかで,一人帰りをしたいと言っていました.

で,今日私が帰宅したら,
「ママのすきなしめさばと,ぼくのすきなおにく買っておいた」
とのこと.
 「だってママいつもぼくらのためにおしごとがんばってくれてるもん」
ちょっと,めちゃくちゃ,感動しました.

まだ2年生なので,いろいろ心配はあるのですが,
あの無力で小さくて何もできなかった赤ちゃんが,ここまで育ってくれて,
本当に感謝です.

弁当生活,体重減,貧血

私はこれまで,昼食は職場の第2食堂というところでたいてい一人で食べていました.
その第2食堂が3月末に改装工事に入り休業しました.
第1食堂は以前から激混みなので,第2食堂の工事に伴いますます混むであろうということが予想され.
加えて息子の春休みの弁当も作っていたので,いっそ私も弁当にしてみるか,と思い至ったわけです.

そしたら.みるみる体重が減っていきました.あ〜れ〜.
弁当生活開始3週間にして3キロ減.それって12週(=約3ヶ月,第2食堂の休業期間とほぼ同じ)続けると12キロ減てこと?(そんなにうまく行くはずないけど,間にGW入っているし)

2月頃から,朝食はほぼ毎日リンゴと飲むヨーグルトのスムージー,これで体重減るかなと思いきや,特に大きな変化なく.
それを続けつつ,弁当にしたらば, 体重減ってきました.

と,こ,ろ,が,(くまさんが,あとから,ついてくる,じゃなくて...)

放射線業務従事者は希望すれば血液検査を定期的に行ってくれるのですが,先日採血してもらったところ,
「貧血ですので1ヶ月後に再検査です」
とのこと.最近ちょっと体調が微妙だったからかなぁ.

というわけで,気をつけながら弁当生活(+鉄分多めで)続けたいと思います.

科研費 基盤C

ちょっと前のことになりますが,科研費 基盤Cが通りました.有り難いことです.
これで新しいことにチャレンジできます.

去年は,自分で獲得してきた研究費がない1年でした.
実は,ポスドクになって以降は,何かしらずーっとあったので(基礎特研や学振の研究費も含めてですが),この1年は,臥薪嘗胆,といった心持ちでした.
やはり,論文を書き続ける,特に自著が決定的,ということを改めて思い知りました.
小さくてもいいから,こつこつと.でも大きいところも狙えるようなbig pictureを虎視眈々と持ちつづけて.

ということで,今年の秋は科研費書かなくてもいいかもです.(というか既に基盤Cもらっていると別のものにはなかなか出せない)

Sきがけをどうするか,悩んでいます.
シュートは打たないと入りませんし,練習したほうが入りやすい.てことで出す方向で考え中.
論文も書かなくちゃです.

2012年3月29日木曜日

ミシガン時代のボスに植物生理学会で6年ぶりに再会しました

今回のテーマは,「1人で子供2人を連れて学会に参加してみよう」
だったのですが,苦労して参加しただけあって,非常に収穫が大きかったです.

その1
田坂先生を囲む会に出席して,奈良先端大時代にお世話になった田坂研の方々と再会しました.私は奈良には実質1年半くらいしかいなかったのですが,この時代の充実した日々を再び鮮やかに思い出しました.「さいとうさんて,1年半しかいなかったんでしたっけ」と何人もの方から言っていただきました.

その2
学会1日目が終わり,ロビーで先輩Nさんたちと話していたところ,横を通った外国人男性が,
どうみてもミシガン時代のボス.
えっ!?なぜここに!?と思う間もなく,ずんずんと早足で歩いて行くボス.
「ごめん!ちょっと行ってくる!」とNさんたちに謝って, 後を追いかけました.
追いついて,声をかけてみたら,果たして,DD教授でした.
あまりに突然で,しかも感動して泣きそうだったので,いやもう英語が出てこなくて.
6年半ぶりの再会でした.
しばらくいろいろ近況を話して,あの頃赤ん坊だった息子がもう7才で,今回も連れてきているんだ,などなど.ちらっとですが,2人を見せることもできました.

その3
息子がとっても頑張りました.イヤイヤ2歳児を私一人で連れてくるより,彼がいてくれた方が楽でした.ポスターを持ってくれたりもしました.リュックには自分と妹の着替え,妹のオムツやおしりふきなども入れて,しょってくれます.託児室に預けても,もう別れを惜しんで泣いたりなんてことしません.「あ,ママもうがっかいだよね,いってらっしゃい」とあっさり.年上のお兄さんとカードゲームしてました.娘の方はものすごく別れを嫌がって,たくさん泣いていたのですが,2日目後半にもなると(昼ご飯を食べさせに託児所に寄るので,1日に2回別れの場面があるのです)あきらめがついてきたのか,「ままー」(「ま」には濁点ついてる感じ)ではなく「おにーちゃーん」(これまた全部に濁点ついてる感じ)と泣き,上の子がだっこしてあげると泣き止んでいました.(そのすきにそっと学会会場へと戻る私...)

ちょっと苦労した点は,キャンパスがアップダウンが激しい立地だったことでしょうか.ベビーカーを持って行っていたのですが,ホテルに置いてきて正解でした.レジストレーションをするために学会本部にまず子供2人を連れて行き(上り),受付をすませて,託児会場に行き(下り),2人を預けて学会会場にたどり着いた(再び上り)ときには,プチ登山をした気分でございました.で,昼ごはんを食べさせに下り,また会場に戻るために上り,ああ,体力って大事ですね.

そうそう,ベビーカーは,京都の行き帰りでは結構役に立ちました.帰りは京都の地下鉄に降りるときに,エレベーターがなかったくらいで, あとは和光市まで全てエレベーターを使ってたどり着けました.上の子の時と比べると,ずいぶん楽になったように思います.5年かそこらなんですがね.


植物生理学会に参加しました

年度末で,どったんばったんな日々を過ごしております.
年休を数日取って,病院に行ったり実家に帰ったりしたかったのですが,ちょっと厳しそう.4月に入ってしまえばGWも間もなくですし,帰省はあきらめようかなと思います.
今度小2になる(!そうなのですよ,このブログをはじめた時はまだ3才そこそこだった彼が!)息子一人に行ってもらうか,という案も浮上中です.

で,久しぶりの投稿です.
3月16日〜18日,植物生理学会に参加しました.
今回のテーマは,「1人で子供2人を連れて学会に参加してみよう」
息子は7才,娘は2才半.

いつもの荷造りメモです.記憶が薄れてきたのでちょっとラフですが.

さて今回は,
○京都産業大学
○Door to door で片道4時間くらい
○三泊四日
(前日,奈良先端大時代にお世話になった田坂先生を囲む会があったので,15日夕方に埼玉を出発)
○ホテルにランドリーあり
○ホテル(烏丸御池徒歩3分)から学会会場(京都産業大学)までは結構かかる
○どのくらい洗濯できる時間があるかわからないので(くたびれて夜寝てしまう可能性あり),少し着替えは多めに

スーツケースに衣類と子供用品を入れ,出発前日(14日)にクロネコヤマトの営業所に出しに行きました.

【スーツケース】
□オムツ 半パック (25枚くらい?)
□おしりふき 1パック
□着替え(私,息子,娘)それぞれ3, 4, 6組程度.
□赤子用のパジャマ 1
□子供のパジャマ 1
□旅行用雑貨と常備薬が入ったポーチ
□ビニール袋
□DVD

【デイパックに】
□ドコモ携帯,ドコモ充電器
□iPhone,iPhone充電器
□財布
(いらないカード類は置いて行く)
(が,クレジットカードと免許とsuicaなどは入れておく!)
□iPad(充電器はiPhoneと兼用)
□母子手帳2冊
□健康保険証入れ
□歯みがきセット
□コンタクトセット
□眼鏡!
□鍵
□ビニール袋
□哺乳瓶1本
□オムツ 6枚
□おしりふき 1パック
□ポケットWifiと充電器

□学会要旨
□学会プログラム
□ルーズリーフ
□論文プリントアウト
□筆記用具
↑この5つが結構重かった!スーツケースに入れれば良かったと後悔.

【息子のリュックに】
□娘の着替え1組
□おやつ
□ティッシュ,ハンドタオル数枚
□コドモの着替え1組
□息子のカードゲーム

2012年2月10日金曜日

研究員会議総会 大栗先生講演

今日は研究員会議総会でした.

去年の川口先生の特別講演から,あっっっっという間の1年でした.
でもそう思うと,自分が幹事をやっていた頃には,現在小一の長男が,2歳だった頃(=下の子が現在2歳)なのです.時が経つのは早いものです.

今年の特別講演は大栗博司先生でした.
私が尊敬するBSIの宮脇先生の高校の同級生でいらっしゃることを,大栗先生のブログで知りました.ちなみに幹事をやっていた時に同期だったYさんも,同じ高校の出身(1年後輩)だったそうです.大都市の御三家と言われるような学校出身でなく,地方の公立高校からこのような方々が輩出されていることを思うと,少しばかり嬉しくなる私です.

講演は,超弦理論に関するものでした.私には全くの,それこそ分野外のさらに外の話題であり,私は本当に素人同然で,参加しようかどうか迷うくらいだったのですが,これが本当に面白かった.これまでどういった経緯で物理学の研究が進んできたのか,どういったことが解けないでいるのか,という問題提起や,何がどういうことになぞらえることができて,という比喩表現が,大変絶妙に表現され組み立てられていて,何となくわかったような気にさせる,少なくとも,全くの分野外のオーディエンスにも,ああ,面白い!聞いていて楽しい!という気持ちを起こさせる,本当に素晴らしい講演でした.うっかりこんな講演を学部1年とかの時に聞いていたら,ちゃんと数学と物理を勉強し直して,そちらの方面に進もう,なんて考えてしまったかもしれません.

つかみも伏線も,一つの映画を見ているかのように,飽きさせることなく,聴衆に畳み掛けてくるような構成でした.こういったtalkができること自体がプロフェッショナル,と思いました.もちろん,研究がものすごくできるけれどもこういったtalkが苦手,という研究者がいるのは経験上確かです.しかし,アメリカの教育の現場では,こういったtalkでごく普通に若い人材が育てられているのだと思うと,なぜだか嘆息が出てしまいます.自分がそういった教育を受けた気がしないということと,自分がこれからそういった教育を提供できるかどうか自信がないということに起因します.しかし,未来は変えることができるかもしれません.

今年も,子連れで懇親会に参加させてもらいました.記念写真の時には,主賓の大栗先生と河合理事の間に上の子が入るという,全くもって恐れ多い配置で撮影していただきました.うちの子は,もし万が一科学技術の道に進んだとしたら,吃驚仰天,あら大変,と思って欲しいところです.本人は今のところ,サッカー選手か,レストランのシェフか,将棋の棋士になるつもりでいるらしいです.(あ...,そう言えば,去年川口先生にお会いした時にはJAXAのひとになる,って言っていましたね...)

去年の川口先生の講演でも,涙が出そうになりましたが,今年も,以下のスライドを見た時に,とてもemotionalになりました.
「基礎研究はきっと役に立つ」
「研究者自身の研ぎすまされた精神が何よりのコンパスだ」
「(だから)研究を真剣に楽しもう」
こうやってタイプアウトしていても,涙が出そうです.

2012年2月7日火曜日

昨年の目標と今年の目標

ええと,もう2月になっちゃいましたが.
昨年の目標を見直して,今年の目標を立てましょう.
しかし,今年は本当に本当に激動の1年になりそうです.
しかも未来に希望が持てない話題が多く聞こえてくるのですが,前向きに行きましょう.
任期制だった頃の緊張感を取り戻せば,なんてことはないはず.
とにかく自分が研究を(できればこれまでやってきたものを継続して,できなくてもいずれできるかもしれないという希望を持って)続けさせてくれるならば,私自身は何の不満もないのです.だから私はこれまでこうして生きてきた,とも言えるのです.

昨年の目標の見直し:

1月  ○研究グループ内ミーティング
2月  △自著論文再投稿,○研究室セミナー,○スクリーニング
3月  ○スクリーニング,国内学会(→震災のため中止)
4月  △次の自著論文のFigを完成させる
5月  ×JSTのグラントに出してみる?
6月  △次の自著論文のテキスト完成させる
7月  ▲変異体の遺伝子マッピング進める
8月  ○(追加)異分野交流の夕べプレゼン
    ▲→△次の自著論文投稿,▲→△変異体の遺伝子マッピング進める
9月  ○国内学会
10月 ○科研費申請,公募1件
11月 ○電子顕微鏡ワークショップ
12月 △次の次の自著論文Figを完成させる

変異体の遺伝子決定に向けて,現在鋭意進めております.あとは確認作業だけ,かもしれません.
11月の公募の1件は,どうもダメだったらしい,という感触です.
夫にも,上司にも,通ったら断れないよ,と言われたところで落ちてしまいました.このごろの生物系のポスト競争がとても厳しいことを思い知らされました.
とは言え,研究を細々とでも続けて行ける状況を確保するためには,もしくは自分が主体的に研究を進めて行ける立場になることを標榜するには,こんなことではめげていられないのです.

ということで,

今年の目標:

1月  ○研究グループ内ミーティング
2月  今年度自著論文第1稿,遺伝子確定のための準備,次の変異体の準備
3月  スクリーニングのセカンドチェック,国内学会
4月  今年度#2自著論文のFigを完成させる
5月  JSTのグラントに出してみる 今年度自著論文#1投稿
6月  今年度#2自著論文のテキスト完成させる
7月  次の変異体の遺伝子マッピング進める
8月  就職活動,息子夏休みに合わせて出張
9月  国内学会
10月 科研費申請(今年落ちていたらだけど)
11月 電子顕微鏡ワークショップ参加
12月 就職活動,今年度#2自著論文何とか形に

なんだか,勢いで書いてしまった感もありますが,まぁこういうものは,思い切りのいい状態で書いてしまった方がいいと思われるので.