2012年5月17日木曜日

イチョウ精子の発見と平瀬作五郎氏

Facebookにも書きましたが,こちらにも転載しておきます.
ロゴマーク関連でご指摘があり,どうして東大のマークはイチョウなのかな?という疑問が出てきたのが発端でした.
それで,イチョウ精子の発見と平瀬作五郎氏について調べていたら,長田敏行先生によるこちらの文章に辿り着きました.
http://bsj.or.jp/JPR/icho.html
http://bsj.or.jp/JPR/icho2.html 

東京大学開学わずか19年,当時ヨーロッパの著名な学者でもなし得なかった大発見を,どうして平瀬作五郎氏が成功させることができたのか.日本の剃刀をよく研いで切片を作成したとか,木登りが得意で大イチョウからたくさん銀杏を取れたとか,そもそもヨーロッパに比べてイチョウの木が身近にたくさんあり,材料の入手に困らなかったとか,成功の要因はいろいろあったようですが,それでも,精子ができるのは9月の第一週頃でほんの一日しかないそうで,大変な努力の賜物だったと推察されます.その後まもなく平瀬作五郎氏は東大を去ることになります.後年,共同で研究を行った池野成一郎氏(ソテツ精子の発見者)が,最初の学士院恩賜賞に推薦された時,はじめは単独で推薦されたものの,平瀬と一緒なら受けてもよい,ということで両者での受賞が決まったそうです.
長田先生は,植物学教室時代にお世話になりました.今回のこの文章を拝読して,尊敬の念を新たにしました. シュトラスブルガーの論文を探しあてたくだりは,なんだか情景が目に浮かんでしまって,不思議な感慨がこみ上げました.登場する人物の描写も詳細になされており(なおかつきちんと出典付きで!),構成力と調査力に驚嘆しました.
 

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 平瀬作五郎のイチョウ精子発見は黎明期の日本植物学界の偉業でした。御承知かと思いますが、当時の状況は本間健彦著『「イチョウ精子発見」の検証ー平瀬作五郎の生涯』に詳しく書かれています。小生も当時の植物学研究の状況を調べ、同書を補完する「イチョウ精子発見ー平瀬作五郎の栄光と受難ー」(2012、非売品)を書きました。長田教授の解説も参考にさせていただきましたが、結果的にかなり違った自説を述べています。国会図書館、小石川植物園柴田記念館展示室にありますので、よろしければご覧ください。