今週は、イベント目白押しです。
日曜と月曜の淡路島への出張が終わると、ちょっとだけ一段落。
1時間くらいのプレゼンを準備しなくてはいけませんが、久々に実験をせっせとやっていて、なかなか止められません。まぁそれはそれでいいことでしょう。今日も一つ良い結果が♪ 嬉しいです。
というわけで、今週は、以下の路線で乗り切ります!
○実験と報告書(最低あと2つ~、月末までには3つ~)をてきぱき片付け
○家族との時間も大事にしつつ
○週末の大きくなったね会ではコドモの成長に感動し
○役員会の打ち上げでは夫の頑張りをほめ
○翌朝日曜7時に家を出ます
○新幹線の中でプレゼンが仕上がるかな
(いや、もっと前にやろうよ)
てな予定です。
あ、出産への道のり、が滞ってますね。
まぁ、今月の中で思い出し次第書き出します。
2009年2月16日月曜日
2009年2月15日日曜日
沸騰都市 シンガポール
NHKスペシャル「沸騰都市」見ました。
このシリーズは全8回だそうですが、1回目のドバイ編の後はずっと見逃していたようです。
7回目の今回、シンガポール編を見るのが久しぶり。
ちょうど、「迫るアジアどうする日本の研究者 理系白書3」を読みかけていて、シンガポールの話題が出ていたので、食いついてみました。その両方で紹介されていたのがバイオポリス、そしてそこで働く日本人研究者、伊藤嘉明教授も。京都大を定年になる頃、研究室の室員10人、ラボごとバイオポリスに移籍したそうです。
シンガポールのバイオポリスの迅速なスタートアップは驚異的です。たった3年間で1800人超の一大研究拠点を作ってしまった。理系白書のテキストからもそのすごさが伝わってきましたが、映像で見るとこれまたすごい。圧倒されました。近代的なビル群。潤沢な予算。アジア一の動物飼育施設。
夫は去年シンガポールに出張していたので、いろいろとコメントしていました。
トラックの荷台に労働者を乗せて走っているけど黙認している、街のあちこちで大規模な工事が進行中、そうそう、こんな感じだったよ、とのこと。
私が特に注目したのが3つの立場。バイオポリスの研究者、投資家、肉体労働者。どれも外国人、ということだけが共通ですが、その待遇の違いは大変際立っています。
バイオポリスでの恵まれた研究環境で働く日本人研究者。「ここの環境は世界一良い」とも。しかしCell, Nature, Science級の業績が当然のように求められます。契約は3年。集中投資されているのは、癌、再生医療など将来的にお金に結びつく分野。人材をリクルートする担当者は「ノーベル賞は二の次、雇用、GDPを延ばすことが重要」。
シンガポールで1億円投資したらほぼ自動的に永住権が与えられるとのこと、既に1万人の外国人投資家がシンガポールに移住しているそうです。
一方、祖国の貧しい子供たちのために学校を建てたい、という夢を実現させるために、「どんな仕事でもやる」と言ってやってきた元教師の外国人労働者。仕事が見つからず、結局半年もたたないうちに母国に帰されてしまいます。
胸を衝かれるほどの格差。
よくもこれほどのコントラストのある対象を選んで描き出したものだと企画の鋭さに感服します。
ところで、もう一人の日本人研究者大里さんは、造血幹細胞のイメージングを行っていて、Natureを目指して仕事を進めています。残念ながら今回は通らなかったとのこと。
(でもそう言えば今週号のNatureに似たような話が載っていたような。。。別グループからでした。競争は熾烈ですね。)
すでにこちらのブログにさらに詳しい紹介があります。
シンガポールでの研究環境に興味がある方はぜひcheckを。
このシリーズは全8回だそうですが、1回目のドバイ編の後はずっと見逃していたようです。
7回目の今回、シンガポール編を見るのが久しぶり。
ちょうど、「迫るアジアどうする日本の研究者 理系白書3」を読みかけていて、シンガポールの話題が出ていたので、食いついてみました。その両方で紹介されていたのがバイオポリス、そしてそこで働く日本人研究者、伊藤嘉明教授も。京都大を定年になる頃、研究室の室員10人、ラボごとバイオポリスに移籍したそうです。
シンガポールのバイオポリスの迅速なスタートアップは驚異的です。たった3年間で1800人超の一大研究拠点を作ってしまった。理系白書のテキストからもそのすごさが伝わってきましたが、映像で見るとこれまたすごい。圧倒されました。近代的なビル群。潤沢な予算。アジア一の動物飼育施設。
夫は去年シンガポールに出張していたので、いろいろとコメントしていました。
トラックの荷台に労働者を乗せて走っているけど黙認している、街のあちこちで大規模な工事が進行中、そうそう、こんな感じだったよ、とのこと。
私が特に注目したのが3つの立場。バイオポリスの研究者、投資家、肉体労働者。どれも外国人、ということだけが共通ですが、その待遇の違いは大変際立っています。
バイオポリスでの恵まれた研究環境で働く日本人研究者。「ここの環境は世界一良い」とも。しかしCell, Nature, Science級の業績が当然のように求められます。契約は3年。集中投資されているのは、癌、再生医療など将来的にお金に結びつく分野。人材をリクルートする担当者は「ノーベル賞は二の次、雇用、GDPを延ばすことが重要」。
シンガポールで1億円投資したらほぼ自動的に永住権が与えられるとのこと、既に1万人の外国人投資家がシンガポールに移住しているそうです。
一方、祖国の貧しい子供たちのために学校を建てたい、という夢を実現させるために、「どんな仕事でもやる」と言ってやってきた元教師の外国人労働者。仕事が見つからず、結局半年もたたないうちに母国に帰されてしまいます。
胸を衝かれるほどの格差。
よくもこれほどのコントラストのある対象を選んで描き出したものだと企画の鋭さに感服します。
ところで、もう一人の日本人研究者大里さんは、造血幹細胞のイメージングを行っていて、Natureを目指して仕事を進めています。残念ながら今回は通らなかったとのこと。
(でもそう言えば今週号のNatureに似たような話が載っていたような。。。別グループからでした。競争は熾烈ですね。)
すでにこちらのブログにさらに詳しい紹介があります。
シンガポールでの研究環境に興味がある方はぜひcheckを。
2009年2月13日金曜日
Google Analyticsがやっぱりダメ
Google analytics, 24時間以上経ったけどやっぱりダメです。
ちゃんとレポートが出てきません。
うーん、トラッキングコードがちゃんと貼られていないのでしょう。
ちゃんとレポートが出てきません。
うーん、トラッキングコードがちゃんと貼られていないのでしょう。
2009年2月11日水曜日
suikyoさんと遊ぶ、全粒粉のくるみパン
今日はsuikyoさんとお子さんたちと遊んでもらいました。
外で長時間遊ぶにはちょっと寒すぎ、私はついに花粉症を発症。
というわけで1時間ちょっとで我が家に避難しました。
子供たちが穏やかに遊べるようになり、成長したなぁ~、としみじみ。
夜になってパン作り。
前にも似たようなものを作りましたが、今日はひさびさに全粒粉のパンを作りました。
こねが足りないのか、水分が多いのか、生地の伸びがいまいちで、パンというよりは固いケーキのような。。。カイザーロールみたいなのをイメージして作っているのですが。
圧力鍋の次はパン焼き機が欲しいなぁ。
外で長時間遊ぶにはちょっと寒すぎ、私はついに花粉症を発症。
というわけで1時間ちょっとで我が家に避難しました。
子供たちが穏やかに遊べるようになり、成長したなぁ~、としみじみ。
夜になってパン作り。
前にも似たようなものを作りましたが、今日はひさびさに全粒粉のパンを作りました。
こねが足りないのか、水分が多いのか、生地の伸びがいまいちで、パンというよりは固いケーキのような。。。カイザーロールみたいなのをイメージして作っているのですが。
圧力鍋の次はパン焼き機が欲しいなぁ。
Google Analyticsが
この2日ばかり、アクセス数が0、と表示されていて、あれ、何かトラブルかなと思っていたのです。
よーく考えてみたら、テンプレートを変えたせいですな。
というわけで、トラッキングコートを再配置してみます。
数か月しか経っていないのに、やり方はすっかり忘れています。
上手くいっているかしら。
それを確かめるために解析結果が出てくれるといいのですが。
日付が変わってからかな。
よーく考えてみたら、テンプレートを変えたせいですな。
というわけで、トラッキングコートを再配置してみます。
数か月しか経っていないのに、やり方はすっかり忘れています。
上手くいっているかしら。
それを確かめるために解析結果が出てくれるといいのですが。
日付が変わってからかな。
古琴亭志ん軽さんのブログ
聖書を題材に福音噺を語る 聖書を題材に福音噺を語る古琴亭志ん軽さんのブログがオープンしたそうです。
「こころの友」2月号で紹介されたそうで、私も記事を読みました。
http://www.bp.uccj.or.jp/mag/mag2_new.html
志ん軽さんの福音噺は私も何度か聞いたことがあります。とてもおもしろいです。
落語の一つの話を覚えるだけでも大変だと思うのですが、創作となるともっと大変なはず。
3分のプレゼンのしゃべりを全部覚えられない私としては、その表現力がとても羨ましいです。
・・・、リンクの記事をご覧になって気づいた方もいるかもしれませんね。
私の実の兄です。
顔、激似です。年は10歳離れていますが。
うーん、3月15日、弘前に聞きに行きたいなぁ。でも学会前で無理かなぁ。
あとで動画で見せてもらおうっと。
(↑誰かが撮影するだろうなぁ、と勝手に期待する末っ子根性。。。)
「こころの友」2月号で紹介されたそうで、私も記事を読みました。
http://www.bp.uccj.or.jp/mag/mag2_new.html
志ん軽さんの福音噺は私も何度か聞いたことがあります。とてもおもしろいです。
落語の一つの話を覚えるだけでも大変だと思うのですが、創作となるともっと大変なはず。
3分のプレゼンのしゃべりを全部覚えられない私としては、その表現力がとても羨ましいです。
・・・、リンクの記事をご覧になって気づいた方もいるかもしれませんね。
私の実の兄です。
顔、激似です。年は10歳離れていますが。
うーん、3月15日、弘前に聞きに行きたいなぁ。でも学会前で無理かなぁ。
あとで動画で見せてもらおうっと。
(↑誰かが撮影するだろうなぁ、と勝手に期待する末っ子根性。。。)
2009年2月8日日曜日
出産への道のり1
2004年6月、留学のため渡米して6か月目でした。
所属していたのはMichigan State University, Department of Biochemistry and Molecular Biology。
長い冬が終わり、やっとなんとか英語での生活に慣れてきたかなぁ、と思っていた矢先、妊娠が発覚しました。
巨大スーパーで妊娠検査薬をやっとの思いで探し出して買って帰り、意を決して検査してみたところ、ばっちり陽性反応が。
夫は「わー!」と言ったきり口あんぐり、な状態でした。
検査薬が2本セットだったのですが、もう一本はどう処理しよう、と思っていたところ、
夫、「ボクも検査しちゃおうかな」
(多分、ネガティブコントロールが欲しかったのでしょう。)
私たちはVisiting Scholar という扱いだったので、学生用の保険になぜか加入できることになっていました。ちょっと調べてみたら、アメリカで無保険で産むと、普通分娩でも100万円、帝王切開だと300万円!私たちが加入している保険で一応どちらもカバーしてくれそう、ということで胸をなでおろしました。
ちょうど今勤めている研究所で公募が出ていて、応募するかどうか迷っているところでした。
アメリカでの生活にも慣れてきて、それなりに楽しんでいました。このままずっと海外にいてもなんとかなりそうだなぁ、と呑気に思っていました。
そんな矢先に妊娠が発覚し、日本でのポストの話がほぼ同時にあったので、正直かなり動揺し迷いました。
結局、夫と複数の上司からの強い勧めに後押しされて、応募することにしました。
つわりでおえおえしながら公募の書類を揃えました。
でも、夫の帰国のめどは全く立っておらず、産後日本に一人で0歳児を連れて帰国しなくてはなりません。どうするつもりだ私、とつっこみを入れたくなります。私の両親は年も年ですし手伝ってもらうことは難しいことがわかっていました。研究所に最近できたという託児所だけが頼りでした。
不安は確かにありましたが、とにかくやってみよう、という気持ちでした。
つわりは、吐き気はそれほど強くなく、何か食べていればおさまる、という程度でした。
おえおえ、とはしましたが、本当に吐いたことは一度もなかった。
それよりもつらかったのが猛烈な眠気。
本当に、寝ても寝ても寝ても寝ても眠い。
日がな1日寝ていても、夜もしっかり眠れます。
強い吐き気がおさまる頃には、食べ物の嗜好に変化が現れました。
日本のコンビニで買えるようなものが無性に食べたくなりました。
ところがミシガンでは入手できないものが多く、
肉まん、プリン、卵サンド、ゼリーなど、いろいろなものを自分で作りました。
で、一人でものすごい量をもりもり食べていました。
(食べたくなるものは夫が興味を示さないものばかり)
8月くらいのことだったと思います。妊娠4か月目かな。
検診で、初めて内診を受けた私は具合が悪くなり、家で休んでいました。
そしたら、がちゃがちゃがちゃ、とドアが開き、カーペットを持ったおじさんが。
えええ。
「あれ、おまえたちってここ引っ越す予定なんじゃないの?来週火曜から別の人が入るからってんで、カーペット替えに来たんだ」
はあああああー!?
その日は金曜日。
夫に急いで電話。
夫も、はあああああー!?
これはあとで判明するのですが、夫がイギリス出張中で留守にしていた時に届いていた手紙の中に、
「契約更新が近いです。#日までに連絡がない場合、契約更新しないものとみなします」
という書類がありました。それを私たちが気付かないでいた、というのも悪いんですが、消印と中の日付を照らし合わせてみると、#日までに返答するのはほとんど不可能な日程。
大急ぎでいくつかの物件に電話をかけて、
「とにかく今すぐ入れる部屋ないですか」
と探しまくりました。
で、その日のうちに次の新居を決断。
そこの管理オフィスにいた女性が
「どうしてそんなに急いでいるの?」
と聞いてきました。
事情を説明すると、
「それは違法だわ。1か月の猶予がなければいけないはずよ。そんなずさんな手続きをするなんて。でも、そんなことをする人ばかりじゃないから。大変だったでしょう、ごめんなさいね、私がかわりに謝るわ。」
このときの彼女の優しくしかも誇り高い態度を私は忘れません。
前のアパートの管理人のところに行って、涙ながらに抗議の言葉をまくしたてました。
当時はアグレッシブだったなぁ。。。英語力もあったし。
妊娠中で感情的になりやすい、というのもあったかも。
ものの数日のうちに、引っ越しを終えました。
結局前のアパートでは子供を持つには部屋数が足りない、ということで、結果的にはちょっと広い家に引っ越せて良かった、わけですが。
(子供を持つには2ベッドルーム以上の広さでないといけない、ということをまわりから聞きました。
ミシガン州だけのことか全米でそうなのかはよく知りません)
ちなみに、前のアパートには、リスが出ました。部屋の中に。
やっぱり引っ越して良かったと思います。
このころ交渉ごとについてはかなりの部分を私が担当していました。
病院に行っても、夫はついてきてはくれるものの、会話のほとんどは私。
毎回電子辞書片手にお医者さんとやりとりをしました。
「日本での仕事で面接に行かなくてはいけないんだけど大丈夫か」
「大丈夫だよ、安定期の頃だしね」
「もしその仕事が決まったら、妊娠後期に日本に行かなくてはならないんだけど大丈夫か」
「飛行機会社によっては臨月のお客さんを乗せるのを嫌がることがあるかもしれないけど、まぁ大丈夫だよ」
妊娠中期後半くらいに
「体重は大丈夫か」
「特に問題ないよ」
(9キロ増をすでにオーバーしていた気がする。日本だと臨月で9キロ増が推奨されているらしい)
ええと、そんなに何でも大丈夫でいいんですか、とこちらが聞きたくなるほど。
いろんな検査の中で一つだけひっかかったのが血糖値。
今日は血糖値を測るという日の朝食が、甘いミューズリーとフルーツジュースだったせいだと思います。
再検査になり、やたらと甘い液体を飲んで、一定時間おきに採血しました。何回も注射針を刺すのでだんだんと難易度が上がり、えええっ針を刺してからぐりぐり動かして血管探すのってアリ?ということもありました。
日本と違うところは、超音波検査を毎回しないこと。私が入っていた保険が安いものだったから、というせいかもしれませんが。妊娠期間中に2回しかカバーされず、1回余分にしたら3万円の請求書が来てビックリしました。その余分な1回分は、触診だとどうも子宮の大きさが週数にしては大きい、胎児の大きさを見て予定日が妥当か判断しよう、とのこと。どうも子宮が大きいらしい。
あと、超音波検査の前に、ぎょっとするほど大量の水を飲まされること。
モニター画面に、「ああ!赤ちゃんの姿が見える!」と大感動しながら、
「トイレに行きたい~!もう限界~!」
なわけです。
診察は、ドクターとナースプラクティショナー(ナースなんだけれども、ちょっと格上らしい)が
1月ごとに交互に診察してくれました。
ドクターのほうはとっても優しそうな男性、なのですが、ナースの方は、怖そうなおばさま。。。
この人は、母乳の講習会の講師でもあったんですが、いやぁ、強い人でした。。。
自分もマスターの学生の頃に子供を産んだそうで、赤ちゃんを連れて講義に出たそうです。
学生で子供を産む予定の人が不安をもらすと、
「私があなたのボスに電話をかけて話をしてあげるから」
と来ました。
というか、その方だけでなく大学全体で、
「ミシガン州立大学は母乳育児を応援します!」
という運動すらあって面喰いました。
私は、
「母乳が足りるかどうか不安です」
と言ったところ、
「乳がんで片方の乳房がない人が、三つ子を完全母乳で育てたことがある。大丈夫だ」
とのたまいました。
で、単純な私はすぐに影響され、ぜひぜひ母乳育児で行きたい、と思ったわけですが、その後この母乳推進派最前線の方から
「もうあきらめなさい」
と言われたわけです。その落胆と言ったらありません。
(第1回目からとりとめもなく長くなりました。つづく。)
所属していたのはMichigan State University, Department of Biochemistry and Molecular Biology。
長い冬が終わり、やっとなんとか英語での生活に慣れてきたかなぁ、と思っていた矢先、妊娠が発覚しました。
巨大スーパーで妊娠検査薬をやっとの思いで探し出して買って帰り、意を決して検査してみたところ、ばっちり陽性反応が。
夫は「わー!」と言ったきり口あんぐり、な状態でした。
検査薬が2本セットだったのですが、もう一本はどう処理しよう、と思っていたところ、
夫、「ボクも検査しちゃおうかな」
(多分、ネガティブコントロールが欲しかったのでしょう。)
私たちはVisiting Scholar という扱いだったので、学生用の保険になぜか加入できることになっていました。ちょっと調べてみたら、アメリカで無保険で産むと、普通分娩でも100万円、帝王切開だと300万円!私たちが加入している保険で一応どちらもカバーしてくれそう、ということで胸をなでおろしました。
ちょうど今勤めている研究所で公募が出ていて、応募するかどうか迷っているところでした。
アメリカでの生活にも慣れてきて、それなりに楽しんでいました。このままずっと海外にいてもなんとかなりそうだなぁ、と呑気に思っていました。
そんな矢先に妊娠が発覚し、日本でのポストの話がほぼ同時にあったので、正直かなり動揺し迷いました。
結局、夫と複数の上司からの強い勧めに後押しされて、応募することにしました。
つわりでおえおえしながら公募の書類を揃えました。
でも、夫の帰国のめどは全く立っておらず、産後日本に一人で0歳児を連れて帰国しなくてはなりません。どうするつもりだ私、とつっこみを入れたくなります。私の両親は年も年ですし手伝ってもらうことは難しいことがわかっていました。研究所に最近できたという託児所だけが頼りでした。
不安は確かにありましたが、とにかくやってみよう、という気持ちでした。
つわりは、吐き気はそれほど強くなく、何か食べていればおさまる、という程度でした。
おえおえ、とはしましたが、本当に吐いたことは一度もなかった。
それよりもつらかったのが猛烈な眠気。
本当に、寝ても寝ても寝ても寝ても眠い。
日がな1日寝ていても、夜もしっかり眠れます。
強い吐き気がおさまる頃には、食べ物の嗜好に変化が現れました。
日本のコンビニで買えるようなものが無性に食べたくなりました。
ところがミシガンでは入手できないものが多く、
肉まん、プリン、卵サンド、ゼリーなど、いろいろなものを自分で作りました。
で、一人でものすごい量をもりもり食べていました。
(食べたくなるものは夫が興味を示さないものばかり)
8月くらいのことだったと思います。妊娠4か月目かな。
検診で、初めて内診を受けた私は具合が悪くなり、家で休んでいました。
そしたら、がちゃがちゃがちゃ、とドアが開き、カーペットを持ったおじさんが。
えええ。
「あれ、おまえたちってここ引っ越す予定なんじゃないの?来週火曜から別の人が入るからってんで、カーペット替えに来たんだ」
はあああああー!?
その日は金曜日。
夫に急いで電話。
夫も、はあああああー!?
これはあとで判明するのですが、夫がイギリス出張中で留守にしていた時に届いていた手紙の中に、
「契約更新が近いです。#日までに連絡がない場合、契約更新しないものとみなします」
という書類がありました。それを私たちが気付かないでいた、というのも悪いんですが、消印と中の日付を照らし合わせてみると、#日までに返答するのはほとんど不可能な日程。
大急ぎでいくつかの物件に電話をかけて、
「とにかく今すぐ入れる部屋ないですか」
と探しまくりました。
で、その日のうちに次の新居を決断。
そこの管理オフィスにいた女性が
「どうしてそんなに急いでいるの?」
と聞いてきました。
事情を説明すると、
「それは違法だわ。1か月の猶予がなければいけないはずよ。そんなずさんな手続きをするなんて。でも、そんなことをする人ばかりじゃないから。大変だったでしょう、ごめんなさいね、私がかわりに謝るわ。」
このときの彼女の優しくしかも誇り高い態度を私は忘れません。
前のアパートの管理人のところに行って、涙ながらに抗議の言葉をまくしたてました。
当時はアグレッシブだったなぁ。。。英語力もあったし。
妊娠中で感情的になりやすい、というのもあったかも。
ものの数日のうちに、引っ越しを終えました。
結局前のアパートでは子供を持つには部屋数が足りない、ということで、結果的にはちょっと広い家に引っ越せて良かった、わけですが。
(子供を持つには2ベッドルーム以上の広さでないといけない、ということをまわりから聞きました。
ミシガン州だけのことか全米でそうなのかはよく知りません)
ちなみに、前のアパートには、リスが出ました。部屋の中に。
やっぱり引っ越して良かったと思います。
このころ交渉ごとについてはかなりの部分を私が担当していました。
病院に行っても、夫はついてきてはくれるものの、会話のほとんどは私。
毎回電子辞書片手にお医者さんとやりとりをしました。
「日本での仕事で面接に行かなくてはいけないんだけど大丈夫か」
「大丈夫だよ、安定期の頃だしね」
「もしその仕事が決まったら、妊娠後期に日本に行かなくてはならないんだけど大丈夫か」
「飛行機会社によっては臨月のお客さんを乗せるのを嫌がることがあるかもしれないけど、まぁ大丈夫だよ」
妊娠中期後半くらいに
「体重は大丈夫か」
「特に問題ないよ」
(9キロ増をすでにオーバーしていた気がする。日本だと臨月で9キロ増が推奨されているらしい)
ええと、そんなに何でも大丈夫でいいんですか、とこちらが聞きたくなるほど。
いろんな検査の中で一つだけひっかかったのが血糖値。
今日は血糖値を測るという日の朝食が、甘いミューズリーとフルーツジュースだったせいだと思います。
再検査になり、やたらと甘い液体を飲んで、一定時間おきに採血しました。何回も注射針を刺すのでだんだんと難易度が上がり、えええっ針を刺してからぐりぐり動かして血管探すのってアリ?ということもありました。
日本と違うところは、超音波検査を毎回しないこと。私が入っていた保険が安いものだったから、というせいかもしれませんが。妊娠期間中に2回しかカバーされず、1回余分にしたら3万円の請求書が来てビックリしました。その余分な1回分は、触診だとどうも子宮の大きさが週数にしては大きい、胎児の大きさを見て予定日が妥当か判断しよう、とのこと。どうも子宮が大きいらしい。
あと、超音波検査の前に、ぎょっとするほど大量の水を飲まされること。
モニター画面に、「ああ!赤ちゃんの姿が見える!」と大感動しながら、
「トイレに行きたい~!もう限界~!」
なわけです。
診察は、ドクターとナースプラクティショナー(ナースなんだけれども、ちょっと格上らしい)が
1月ごとに交互に診察してくれました。
ドクターのほうはとっても優しそうな男性、なのですが、ナースの方は、怖そうなおばさま。。。
この人は、母乳の講習会の講師でもあったんですが、いやぁ、強い人でした。。。
自分もマスターの学生の頃に子供を産んだそうで、赤ちゃんを連れて講義に出たそうです。
学生で子供を産む予定の人が不安をもらすと、
「私があなたのボスに電話をかけて話をしてあげるから」
と来ました。
というか、その方だけでなく大学全体で、
「ミシガン州立大学は母乳育児を応援します!」
という運動すらあって面喰いました。
私は、
「母乳が足りるかどうか不安です」
と言ったところ、
「乳がんで片方の乳房がない人が、三つ子を完全母乳で育てたことがある。大丈夫だ」
とのたまいました。
で、単純な私はすぐに影響され、ぜひぜひ母乳育児で行きたい、と思ったわけですが、その後この母乳推進派最前線の方から
「もうあきらめなさい」
と言われたわけです。その落胆と言ったらありません。
(第1回目からとりとめもなく長くなりました。つづく。)
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