suikyoさんの記事から, ママ研究者さん, myuさんと, 続けて就職活動の記事を拝見しました.
私も書こうかな,ということで.
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【大学入学の時点〜教養課程まで】
そもそも,大学に入った時点では,ぼんやりと,「研究者」か「高校の先生」という希望を持っていました.
私が高校を卒業して浪人が決定した頃,兄が博士課程を修了し,企業に就職した直後でした.研究者は博士の学位を取得してなるものなのかなぁ,ということを私は兄から教えられました.でも,そもそも研究者になれるんだろうか?ということについてはあまり自信がなく,まぐれで入っちゃったような大学で,果たして自分が留年せずに卒業できるのだろうか,という不安の方が大きかったように思います.
後者については,父は地方の私立高校の教諭,母は中学校の養護教諭,姉と兄が小学校教諭,という教職ファミリーであったため,自然にそう思ったようです.高校では女性の先生が何人もいたので,自分もなれるかも,と思ったのでしょう.
ちょうど入学した頃はバブルがはじけた直後.
でもまだ世間は浮かれ気味でした.
先輩の就職活動の話なんかを聞くと,まだまだとんでもない売り手市場で何か違う世界のことのよう.
そういう世界に身を置くことはまずないだろうなぁ,と漠然と思いました.
とりあえず, 教職の免許は取ろう,と思って,必要な単位を取得することにしました.
私が大学に入った頃に,「専修」というカテゴリができて,修士卒だとほぼ自動的にこの免許になる,ということだったので,
「修士までは行かせてもらおう,その頃には自分が研究者としてやっていけるかどうか判断できるだろう」
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【教養課程で思ったこと】
大学の教養課程の生物実験は,顕微鏡観察をしてスケッチをする,ということに多くの時間が割かれていました.小さい頃,顕微鏡が欲しくて欲しくてたまらなかった私は,夜遅くまで実験室に残ってスケッチを続けるという作業があまり苦になりませんでした.(それでも生物学実験の成績はBでしたが(笑) )
別の科目(ドイツ語,有機化学,物理)では随分苦労したけれど(しかも周りがほんとに勉強できる宇宙人のような人がごろごろいて...), 生物はもしかしたら好きかも,特に顕微鏡!と思っていました.
ただ,動物をいじるのはやはり抵抗があるなぁ..., そういうやや後ろ向きな理由と(これも上記の生物学実験で知った),幼少期りんご畑で過ごしたという野生児体験,きっと周囲のクラスメートの誰よりも豊富なんじゃないか,それが私の強みになのでは?という理由で,「理学部生物学科植物学教室」を希望することにしました.
当時の植物学教室は,進学振り分けの点数が今よりも高くて,私の成績ではギリギリ...
第2希望,第3希望は農学部に出した気がします. バクチのようなものでしたが,何とか通ってとてもほっとしたのを憶えています...
あ,あと,教養時代,特に2年生のときはよく遊びました... パーチクリンでした.よくあれで留年しなかったなぁ,と思います.友人に感謝です.
(つづく, 何となく長期化の予感...)
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3 件のコメント:
>ちえこままさん
どうもありがとうございます!
その頃から"顕微鏡"だったのですね。
幼少のころのりんご畑が今に続いているなんて、すてきです!
suikyoさん,ママ研究者さん,コメント有り難うございました!
> その頃から"顕微鏡"だったのですね。
はい,そうなんです,というよりか,もっと昔です。あ,この部分もあとで記事にしようかな。
> 幼少のころのりんご畑が今に続いているなんて、
細く長く続いていますねー。
3才か4才くらいのとき祖父に,
「ブロッコリーとカリフラワーは色が違うんだよ,だから今植えてるのはカリフラワーなんだよ。」
と言って祖父を驚かせたそうです。
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