2008年9月13日土曜日

就職への道のり5

久々にこのシリーズ、です。

博士3年になり、博士論文作成に向けてのデータ取り、論文作成、その合間にポスドク先探し、をしました。最終学年、正念場、ということで、長年雇っていただいていた家庭教師のバイトを辞めました。

学振ともうひとつ、研究所のポスドク職にもアプライすることにしました。大学3年の時と卒研の時にお世話になった助教授の先生がその研究所に移りラボを持ってまもない頃でした。ちょうど、これから顕微鏡に力を入れたい、植物のプロジェクトも軌道に乗りつつある、ということで。大学院進学の時にずいぶん迷ったラボだったこと、私の顕微鏡のスキルが生かせそう、ということが大きな要因となり、決断しました。その研究所には、研究室の先輩の何人かがポスドクとして行っていたので、いろいろとお話を聞かせてもらいました。これは助かりました。

5月は書類書き、6月7月はひたすらデータ取り、8月は面接、と、日々慌ただしく過ごしていました。面接、大変短いものでしたが、なんとなく質疑が大失敗したような気がして、がっくりしながら研究室にも顔を出すことなくとぼとぼ帰路につきました。研究所の敷地を出たとたんバケツをひっくりかえしたような雨が降ってきて、私の心象風景とよく重なりました。

一から出直しです、と、また実験に戻りました。

しばらくして、結果が来ました。

驚いたことに採用、でした。

小さいながらも論文を4報書いていたことがプラスに出たのかな、と大変嬉しく思いました。

採用の連絡を一番喜んでくれたのは母でした。4人きょうだいのうち、3人が地元を離れ、実に20年にわたり仕送りをしつづけたけれど、今年で終わる~!と「実際に」小躍りしたそうです。

私が博士課程の間に、なかなか順調に進まなかったり、胃を壊したり、水漏れ事件を起こしたりして、ずいぶんと両親には心配をかけました。それでも、両親はずっとほどよい距離感で励まし続けてくれましたた。
母は、大学受験のときは、地元に残ってほしいとか、自分の実力にあった学校を目指した方がいいのではないか、とか、こちらのモチベーションをそぐようなことを言ったりもしていましたが、この頃になると、「やると決めたらしっかりやりなさい」と。

母は、15歳のときに親元を離れ、看護婦になりました。兄弟が多く父親が病気がちで、家計の状況を考えると、進学はできず、働きながら学ぶことを選んだそうです。
「女性も職業を持って自立しなくてはいけない」
「自分は進学をしたかったけれどかなわなかった。自分の子供にはこういう思いをさせたくない。」
その後夜学に通って養護教諭の資格を取り、まだ大学生だった私の父と結婚し、4人の子供を育てながら小学校や中学校の保健室の先生として定年を迎えるまで働き続けました。

「ソロモンの箴言。知恵ある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる。」

聖書の一節で、私の名前はここからいただいたそうです。母にずいぶんと心配をかけた私はむしろ後ろのフレーズに似つかわしいかもしれません。

博士課程のいつだったでしょうか、確かかなりつらかった時、母親から送られた聖書の言葉。

「艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。」

秋は学会、11月は予備審査と、また止まらない機関車のような生活。
予備審査を何とか無事通過し(終わって消耗して眠りについても、予備審査の夢を見ました。一晩に何度も。目が覚めて、ああ終わってるんだよ、と胸をなでおろしたことを覚えています。)
年明けに論文提出、本審査。

大学3年から、博士の5年まで過ごした建物ともお別れ。寂しいとかいう気持ちはあまりなく、ああやっと卒業できるんだ、ここから離れられるんだ、という気持ちがありました。

アパートを引っ越し、ラボを引っ越し、ひどく疲れていたのでしょうが、あまり気付かなかったらしく。

入所前日、つまり3月31日に、40度の熱が出ました。
保険証がないので病院にも行けず、これはピンチ。
とにかく行かなきゃ。這うようにして家を出て、入所式に出ました。辞令をもらって、説明会に参加して、目が回るってこんな感じかぁ、と思った社会人一日目、でした。

(つづく、かも。とりあえず就職したので一段落、でしょうか。つづくとしたらここからポスドク編となります)

なんか、苦労話ばっかりになって辛いですね。当時はほんと、いろいろやらかしたというか、よくもこんなにトラブルを呼び込むなぁ、という体質で。(笑) 行いが悪かったのでしょう、きっと。ははは。で、結局こういう肝っ玉かあさんになりました。はっはっは。

5 件のコメント:

ママ研究者 さんのコメント...

ちえこママさんと私の育った境遇、かなり似てる!と思いました。

1)田舎出身。
2)うちも、3姉妹全員が、高校と同時に家を出て一人暮らし。ついでも、父も単身赴任してた。(母はどうやってやりくりしてたのか、不思議。)
3)母は進学したかったけど、戦争で家が焼けて家計が苦しく、身障者の兄がいて祖母(母の母)が大変だったので、商業高校に進学し、高卒で仕事につきました。

私も、母に、ちえこママさんと同じようなことを言われて育ったなぁと、このエントリーを見て懐かしく思い出しました。

ポスドク編も楽しみにしてます♪

suikyo さんのコメント...

うちは似ているところもあれば似ていないところも…

父はだいぶ苦労した人だったようなので(大学は三浪して、しかもその間に1年働いています)、父や父方の祖母は子供(孫)に勉強させたいという気持ちは強かったようです。
母はむしろお嬢さんだったかなぁ…

4人兄弟と言うところは一緒です!!
我々兄弟にかかっている費用を思うと、本当に親ってすごいなぁ、と思いますね。

私もポスドク編、楽しみにしています♪

ちえこまま さんのコメント...

ママ研究者さん,suikyoさん,
コメント有り難うございます!

> ちえこママさんと私の育った境遇、かなり似てる!と思いました。

確かに似てますね,なんだか嬉しいです♪
というか,ブログをやることで,ママ研究者さんとつながりができたことに改めて,感謝しています。奇跡的なことだなぁ,と感慨深いです。

ママ研究者さんのお母さま,確かにうちの母親に共通するところがありそうですね。

> 4人兄弟と言うところは一緒です!!

そうです!男女比も2:2で!しかも青森に住んでいたことがあるんですよね。片方の条件ならたまーにいますが,両方の条件を満たしているのはsuikyoさんだけですねー。

> ポスドク編も楽しみにしてます♪
> 私もポスドク編、楽しみにしています♪

有り難うございます!気長に見守っていただけると幸いです。。。過去のことを振り返るのって意外に精神力が要ります。

匿名 さんのコメント...

ランチ仲間のKです。

ちえこママさん、クリスチャンだったのですね。実は私もそうなのです。ずいぶん長い間、休んでいましたが、やっとこの頃、教会に行き始めました。

学生時代や就職への道のりのエントリーを読んでいると、色々と思い出すこともあり、ちえこママさんのすごさにも感銘をうけたり、です。
私もポスドク編、楽しみにしています!

ちえこまま さんのコメント...

Kさん,コメント有り難うございました!

>ちえこママさん、クリスチャンだったのですね。

そうなのです.洗礼を,結婚直前に受けました.でも,教会にはなかなか行けていません...

>実は私もそうなのです。

そうだったのですか!存じ上げませんでした.

> ずいぶん長い間、休んでいましたが、やっとこの頃、教会に行き始めました。

すばらしい〜.