間があいてしまいましたが,再開です。
もうこうなったら開き直って時間をかけていろいろ書いちゃおう。
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【いろいろな不安】
修士の間に,一度,教授がふらっとやってきて
「おーい,ちえさん,修士卒業したらどうするのー?」
とかなーりカジュアルに聞かれました。
「先生になるんだっけー」
え,ええと。
「教職の単位は取れますが,一応,博士課程まで進んでやれるところまでやってみたいです。。。」
と答えたような気がします。
「あ,そう,じゃぁがんばってねー」
で,教授は同じ学年の次の人へ。
「おーい,○○さん,修士卒業したらどうするのー?」
本人意思確認行脚,だったようです。
一番大事なところは本人に言わせる,気づかせる,テクでしょうか。
本人は不安だらけ,でしたが。
修士の間には,大きな事件や災害がありました。
オウム地下鉄サリン事件と,阪神大震災。
なんだか社会全体がものすごく不安な空気に包まれていたような気がします。
地下鉄サリン事件は,私が使っていた地下鉄の沿線でも発生しました。
その日はたまたま自転車で出かけ,救急車や消防車がいつにもなくたくさん往来していて,
ラボに到着して事件を知り,ぞっとしました。
阪神大震災は,大変なショックでした。
関西出身の友人の妹の彼氏,は,全壊したアパートに,卒論のフロッピーを探しに行った,
等の話を聞きました。
漠然とした不安,がしばらくつきまといました。
こんなのんきに実験を続けていていいのか。
しかも,何のためにこの実験をしているのか。
私が修士を取るってこと以外に何の役に立とうか。
そんなことをぐるぐる考えたりしましたが,
かといってボランティアに行く時間も決断力も実行力もなく。
【博士1年】
修士をやっとのことで通り(これまた中の中くらいの成績だったらしい),博士課程に進学しました。
いつもいつも不安でした。
「こんなんで博士取れるのかな。」
修士の時にたくさん手伝ってもらった反動というか,
コミュニケーションがそれほど上手くない私は,
お世話になった助手の方に話しかけるのが恐ろしく,
一年くらいぎくしゃくしました。
学振の書類に書いたプロジェクト,修士の間は,
「博士に進んでからやったら」
と教授に言われていましたが,
学振落ちて博士に進学したところ,
「博士からはじめても遅いんじゃない」
ガビーン。ええっ,そりゃないよ,先生,と当時は思いました。
でも,このプロジェクトは結果的にやらなくてよかったことが判明します。
私がD2の時に,アメリカの別のラボから論文が出ていました。
もし,私が,D1からこれをはじめてしまったら,再起不能な痛手を被っていたと思います。
でも,この世界,
"I did it, but you didn't"
なのです。アイディアがあっても,やらなければ無意味。
博士1年の秋,再び同じ学会に行きました。
このときも修羅場修羅場。
リポD,ユンケル,を飲んで徹夜。
ユンケルは次第に高い値段のものにしないと効かなくなります。^^;;;
学会が終わると,胃が壊れてました。
初めて胃カメラを飲み,
「こんなツライ思いをするんだったら,胃を壊さない生活しますう」
と涙ぐみました。
【論文書き】
「どんなことでもいいから,自分で論文にしてみなさい」
という教授の教えに従い(修士の頃から言われていた),
やっとこの頃から小さい小さい論文を書き始めました。
修論でまとめた英文テキストをもとにして,推敲し,英文校閲に出し,投稿。
ゲラが上がって来たときは感動しました。別刷り,というのにも。
周囲の人に助けてもらいながらも,なんとかここまでこぎ着けた。
組み写真の時もそう思いましたが,ああ,自分の作品だなぁ,と。
この年も,一応学振を出してみましたが,ハガキが返って来ました。
ハガキ→書類でダメー,ってことです。
【博士2年】
この年,両親がそろって退職しました。
母は定年退職。父はもう一年あったのですが,母と仲良く同じ年に退職。
年金生活をしている(しかも父は一年早かったので,すぐ年金をもらえない)
両親からこれまでと同じ額の援助を期待するわけにはいかず,仕送りの額は減りました。
しかし奨学金やアルバイトの中から,少しずつ貯金をしていたので,なんとかなりました。
でも,学振が通ったら,両親からの援助もなしでやっていける。
今年はがんばるぞう。
5月の爽やかな季節,学振の書類の締め切りを一週間あまりに控え,大変なことが起きました。
私の住んでいた部屋は雑居ビルで,階下に洗濯ものの水が漏れてしまい,階下の電子写植機が壊れました。その対応で数日まるまる潰れました。
はい,この年もハガキが返って来ました。
もう,とにかく論文を書かないと,やって行けないんだということが切実にわかってきました。
小さい論文を,こつこつと書いて,投稿。この年は確か2つ書きました。
自分が修士を取る頃,周りに随分手伝ってもらいましたが,この年はその恩返しにと,周囲を手伝いました。一つ上の先輩の博士論文要旨,とか,2つ下の修士論文要旨とか。時間はもちろんかかるのですが,この,周囲を手伝うという作業を通して,随分と勉強をさせてもらった気がします。客観的に仕事を見ることができるというか。私は要旨のレイアウトが結構得意になっていました。
#ちなみに論文要旨は,日本語でA4数枚に図と簡単な筋書きをまとめる,というものです。ちっちゃなポスターを何枚か作るという仕事。
この年,ものすごく元気な新人が入って来ました。
桁外れに仕事を進めるのが速く,M1の夏くらいにはもう,一報書き始めている,という勢い。
飲んだら飲んだで強烈。
デキの悪い先輩の私は,なんだかやりにくい奴が入って来たなー,と眺めていました。
私も結構飲む方なので,他のラボとの合同飲み会の時など,うちのラボの子が何かしでかしやしないかと
ひやひやしながら見ていました(じっさいいろいろやらかしてましたが)。
そんな人と将来結婚するとはこれっっっっっっっっっっぽっっっっっっっっっっちも思いませんでした。
(つづく)
5 件のコメント:
博士論文の要旨を手伝ってもらったNです!あの時は、Tっちゃんのpapaがなくなって、自分が支えなきゃという意気込みで、お葬式にいって、帰ってきたら、自分で驚くほどなにもやる気がでてこない。たぶん、軽い燃え尽き症候群だったんだと思う。いまでも、あのときの不思議な感覚は忘れられません。CHIたん、ずっと横にすわって、マンツーマンで手伝ってくれたよね。本当に、CHIたんには感謝感謝です。I love Chiたーん!
ちえこままさんの旦那さんは、
研究室の後輩なんですねー(^-^)
Nさん,myuさん,コメント有り難うございました!
> 博士論文の要旨を手伝ってもらったNです!
あ,Nさんのも手伝った,...?かも?
あ,だんだん思い出して来た.
このエントリを書いていたときは,もう一人のNさんのを手伝った記憶で書きました.f^^
二つ下の修論は,MくんとTくん.
でも,そういえば,当時はほんとに,Nさん二人とも,いろいろと大変だったのに,頑張ったよね...すごいなぁと思った.
私もNたんにはすごくすごくお世話になりました!有り難うございました!
I love Nたーん,でございます.
> 研究室の後輩なんですねー(^-^)
そうなのですよ.
はぁぁぁ...(なぜか深いため息)
もう1人のNさんは私の先生ですよね?
ちえこままさんには本当にお世話になったと言ってましたし!
> もう1人のNさんは私の先生ですよね?
はい,そうです.
私こそ,Nさんには,二人だけの花粉プロジェクトということで,いつも本当にお世話になっていました.
なんだか懐古的になってきた.あはは.
前も向いて行きます!
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